23日、妙海寺で花のお会式 参詣者におしるこ振る舞う

2018年10月21日08時57分15秒0001


23
日、妙海寺で花のお会式

 参詣者におしるこ振る舞う

 妙海寺(笹津海道住職)は、日蓮聖人と同寺開山但馬公日實聖人に報恩感謝を捧げる「花のお会式」を二十三日、下河原町の同寺で開く。

 弘安五年(一二八二)十月十三日に入滅した日蓮聖人と、永仁一年(一二九三年)十月二十三日が命日の但馬公日實聖人の「お会式法要」で、毎年、同じ日に開かれている。

 日蓮聖人が武蔵国池上(現・東京都大田区)で入滅した時、季節外れの桜が咲いたという伝承に基づき、本堂や境内を桜の造花で彩ることで満開の桜を表現し、午後二時半からお会式法要を行う。

 三時半から境内で参詣者におしるこを無料で振る舞う。

 問い合わせは同寺(電話九六二ー一四〇八)

【沼朝平成301020()号】

スルガ銀投資用不動産融資事件新聞「静新」

2018年10月06日11時38分26秒0009k



2018年10月19日10時59分52秒0001



検証 スルガ銀問題 下

問われる「地銀の責務」

信頼回復再生への道

 「以前にも増して地域の振興へ力を入れてほしい」ー。投資用不動産融資を巡る不正が横行していたスルガ銀行に対し、金融庁が一部業務停止命令を出す2日前の3日午前。沼津市のスルガ銀本店を訪ねた沼津商工会議所の岩崎一雄会頭は、向かい合った有国三知男社長にこう伝えた。

 両者の面会は、有国社長が9月に就任してから初めてのこと。開口一番、不祥事を陳謝したという有国社長に向けられた岩崎会頭の言葉には、「いま一度、この地域に目を向けてほしい」という地元経済界トップとしての思いが込められていた。

 約30年前にリテール(個人取引)特化の戦略へかじを切ったスルガ銀。独自のビジネスモデルで成長を続けるにつれ、主戦場は首都圏などへと移り、地元とは距離が生まれていった。「ポートフォリオ(資産構成)を都市部に寄せすぎた」(有国社長)ことは結果的に、今回の不正融資問題にもつながった。

 第三者委員会は、不正の舞台となったパーソナル・バンクが利益至上主義へと暴走した原因の一つに、「他に業績を頼る部門がなかったこと」を挙げた。県内などのコミュニティ・バンクにも「無関係でない」と断じた文言は、足元の弱さゆえに起きた問題でもあったことを印象付けた。

 今後の焦点はスルガ銀の再生へ移る。不正がまん延していた企業風土の改善やシェアハウスオーナーへの対応、高収益の源泉だった投資用不動産融資に代わる新たなビジネスモデルの構築といった山積する課題に加え、そこでは地域経済を支える地銀本来の責務も問われる。

 有国社長は「リテールを中心とした業務運営に変わりはない」とするが、県内には長年にわたりスルガ銀と取引をしている中小企業なども少なくない。同市中心部で商店を営む男性は「資金だけでなく、知恵や情報など地元の銀行だからこそ持っているものを、地域の産業界発展のために提供してほしい」と望む。

 金融などが専門の丹羽由一静岡産業大経営学部長は「地銀はまさに地域の顔」と強調。スルガ銀の再生を左右するのは、信頼を回復した上に産学官金の要の役割や事業承継などの仲介機能を果たすことで、「地域から頼られる存在になれるかどうかだ」と見通す。

 就任時に「地域のお客さまも大切にしていく。もう一度、取引したいと思ってもらえるような銀行にしたい」と誓った有国社長。その道筋をどう描くのか。創業の地からも厳しい視線が注がれている。

(東部総局・橋爪充、経済部・関本豪が担当しました)

【静新平成30108日(月)朝刊】


狩野川台風60年「被災の記憶」

狩野川台風60

夜の大濁流家や人急襲

 19589月に伊豆半島で900人以上の犠牲者を出した狩野川台風襲来から26日で60年を迎える。被災者の体験談や伊豆半島の防災対策の現状、7月上旬にあった西日本豪雨の様子に迫り、防災への課題や教訓を探った。

◇被災の記憶

 「あっという間に腰の高さまで家屋が浸水し、外に出て濁流にのみ込まれた」ー。中学3年生で狩野川台風を経験した山口菊代さん(75)=伊豆の国市御門=は、60年の歳月を経てもいまだに鮮明に残る記憶を振り返る。夜、狩野川が氾濫。「大仁から函南まで流された。意識を失い、多くの遺体と一緒に小学校に並べられました」

 当時、狩野川近くの大仁町(現伊豆の国市)白山堂で伯母と暮らしていた。数カ月前に引っ越してきたばかりで、川の近くに住むことに危機意識はなかった。1958926日のあの日は朝から激しい雨が降っていたが、これまでの台風接近時と同じく「寝ていれば過ぎる」と早々に床に就いていた。

 伯母の叫び声で目を覚まし、着替えをしているうちに畳が浮いた。外に出ると一帯は川と化していた。懸命につかんで登った自宅の前の木は家屋とともに水の勢いで流され、そこではぐれた伯母は帰らぬ人に。濁流の中で橋に激突して気を失い、数㌔先で木に引っかかっていたところを救出された。意識がなく遺体とともに並べられていたが、通っていた中学校の教員が偶然そこにいて山口さんを発見し、手当てを受けて一命を取り留めた。

2018年09月24日14時31分39秒0001kk
2018年09月24日14時31分39秒0001k

 修善寺町(現伊豆市)熊坂で被災した西島萬徳さん(88)は、現在も住む場所にかつて建っていた家が濁流にのまれ、家族7人のうち4人を失った。「玄関に水が入ってくる音が聞こえて間もなく胸の辺りまで水が来た。2階に上がったが家ごと流された」。屋根に乗って流される中、流木にぶつかり、近くの橋まで上がって助かった。

 一緒に流され、函南町で助け出された妻の木久枝さん(83)は、平成最悪の犠牲者を出した7月の西日本豪雨の報道に60年前の記憶を重ねる。「浸水した被災地の映像を見るとあの恐怖が鮮明によみがえる」と目を潤ませる。

 狩野川台風後、付近の狩野川の川幅は倍に広がり、上流の対策も進んだが「何があるか分からない」と西島さんは今も危機感を持ち続ける。情報収集と早い段階での避難という教訓を、これからも体験者として伝えていくつもりだ。

 〈メモ>1958926日、後に狩野川台風と呼ばれる台風22号が伊豆半島に接近した。午後から夜にかけて豪雨となり、午後8時ごろからは狩野川上流一帯で1時間に80120㍉の雨が降って各地で山崩れが起きた。多量の土砂と流木が川に集中して各所にダムが形成され、これが決壊して波状的に大洪水が発生。午後950分ごろの修善寺橋の倒壊では、一気に流れ出した大量の水が熊坂地区や白山堂地区をはじめとする集落を襲い、壊滅的な被害を与えた。狩野川流域の現在の伊豆市、伊豆の国市、函南町で死者・行方不明者853人。伊東市や熱海市などでも犠牲者が出た。

【静新平成30922日(土)朝刊】

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