2006年12月

雅美さんのクリスマス!

雅美さんからのメールから

ポートランドのダウンタウンのビックなクリスマスツリーの写真と住宅街のイルミ
ネーションの写真を撮ったので送ります。住宅街の写真はいろいろな家庭の飾りつけが見れて楽しいと思います。
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クリスマスは2日間だけでしたが、トニーの実家があるスポケーンに帰りました。
引っ越して以来のスポケーン帰りでわくわくしていました。
スポケーンまでポートランドから約片道6時間のドライブをして行きました。
スポケーンはこの時期、雪が約20センチぐらい積もる時期なので運転には要注意で
行きました。
おばあちゃん、おじいちゃんには久しぶりに帰ってきたから会えてうれしいと喜ばれ
ました。この時期は用意するクリスマスプレゼントの数が多くて出費がかさんで大変
です。でもみんなでお祝いするのはやっぱり楽しいです。
友達にも会いに行き、楽しい2日間を過ごすことができました。
アメリカでは年末の時期は日本のように忙しいことがないのでのんびりしていて変な
感じです。
今頃、日本ではみんな忙しくしていられるんでしょうね。
それでは、よいお年を・・・。来年もどうぞよろしくお願いします。
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トニー&マサミ

「二十四の瞳」で昭和の香り

12月26日6時49分、オーマイニュースに採用掲載されたものです。パイプ

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静岡県沼津市のぬましん大ホールで23日開催された懐かしの名画上映会は、しばし昭和の映画全盛期に返ったように盛況だった。

 今回上映したのは木下恵介監督、高峰秀子主演の名作『二十四の瞳』(1954年)である。最盛期には映画館10館が軒を並べた沼津で、懐かしの名画を定期的に上映していこうという試みの第1弾だ。

 当日は、午後1時の開場なのに12時前から客が集まりだした。昭和20?30年代に成人になられたとおぼしき世代の男女である。

 「寒い歩道での行列は厳しい」と、急きょ予定より早く開場された。どれほどの来場者が得られるかという心配は杞憂(きゆう)に終わったが、用意したいすが足りなくなってきた。急いでいすを追加するが、それでも足りない。

 午後1時5分前になっても、客はまだまだ入ってくる。意を決してマイクを持った。

 「ご来場のみなさま、申し訳ありません。用意したいすが足りず、立ち見も出ております。この映画が封切られた時代はどこの映画館も満員で、立ち見は当然、子どもは通路やスクリーンのすぐ前に座って見たもんです。昔の映画館を思い出して、今日立ち見席の方はご勘弁を」とお願いすると、来場者には笑って了解していただけた。

 いよいよ開演である。会場が暗転して、フィルムの回る音が響き始めた。昭和29年の16ミリフィルムだ。白黒で、スクリーンには“雨が降る”。音声は聞きとりにくいが、逆にいかにも昭和の名画といった風情である。

 156分という長い上映時間であったが、だれひとりとして席を立つ人はいなかった。途中あちらこちらからすすり泣きが聞こえる。最後は拍手が起こった。

 来場者の中には帰り際、スタッフをつかまえて「師弟愛や家族愛、親子愛、友情、反戦など、いまの日本が忘れてしまった教育の原点を描いたいい映画でしたね。泣けて泣けて」「(西口ミサ子役で出演していて現在沼津市在住の)小池(保坂)泰代さんにスクリーンで会えて本当によかった」など、感想やお礼を伝えられる人も多くおられた。

 第1回の懐かしの名画上映会は大盛況、大成功だった。

端山館長と竹とんぼ

歴史民俗資料館で体験学習:竹細工で物づくりの楽しさ
市歴史民俗資料館の冬休み体験学習「竹でつくる遊び教室」が、御用邸記念公園内で開かれ、市内の小学生およそ二十人が参加した。
博物館活動における教育普及の一環。「竹多工(ちくたく)愛好会」の指導を受け、かざぐるまや竹とんぼなどに挑戦した。
「昔の遊びをして、楽しく遊んでみたかったから」と男子児童の一人。子ども達は、完成した竹とんぼを飛ばしながら、「UFOみたいだ」「屋根まで飛んでいった」と話すなど、「ものづくり」の楽しさを味わった。(沼朝06年12月28日号)
(画像の男性は端山歴史民俗資料館長)
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「二十四の瞳」上映会の記事

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画像:「おなご先生」役の高峰秀子さんと分校時代を演じた子どもたちの記念写真。座っている右側が保坂泰代さん=1954年、香川県小豆島で(保坂さん提供)



懐かし名画定期上映へ(朝日新聞06年12月21日朝刊)
23日に第一弾「二十四の瞳」無料で・市内の女性子役で出演


かつて映画街としてにぎわったJR沼津駅南口の上本通り。一角にあった映画館の跡地に建つ沼津信用金庫本店で23日、木下恵介監督の名作「二十四の瞳」の無料上映会が開かれる。懐かしい名画を定期的に上映していく試みの第一弾で、市内に住む主婦が、半世紀前に子役として出演した地元ゆかりの作品を選んだ。主婦は「私にとって宝物のような映画。ぜひ見てほしい」と呼びかけている。(佐藤清孝)

駅周辺の繁華街には、1960年ごろまで10軒の映画館があり、華やかなシネマ街だった。中でも、上本通りの「文化劇場」は、当時は珍しい洋画封切館として映画ファンの人気を集めた。
沼津信金は上本通りに移転した後の87年、文化劇場の跡地にホールなどを増築。上本通り商店街の祭りでホールを会場に、今井正監督作品などの上映会を開いてきた。
今回の試みは、この2月、「昭和モダン」をテーマに商店街が沼津信金本店ギャラリーで開いた懐かしい映画のポスター展がきっかけ。商店街と信金が、「ホールを活用してシネマの街づくりを進めていこう」と構想を温めてきた。
商店街振興組合理事長の長谷川徹さん(60)や信金理事ら6人で、「懐かしの映画上映委員会」を発足させ、2回目の「昭和モダン」の柱として名画上映会を企画。皮切りに「地元に縁がある作品を」と、出演者が市内に住む「二十四の瞳」に決めた。
子役として出たのは、本郷町の保坂泰代さん(60)。岬の分校時代と成長した本校時代を演じ分けるため、「12、13歳と6、7歳の兄弟又は姉妹で互いによく似ていること」が募集の条件だった。保坂さんは当時市立6小(現・千本小)の2年生で、3歳違いの姉章子さん(85年死去)と全国1800組の中から選ばれた。
舞台になった香川県小豆島で、「西口ミサ子」役として1954年の春休みから3カ月ほど撮影した。「ずぶの素人で何もわからなかった。悲しい場面を何度もやり直すうちに、本当に泣き出してしまつたこともありました」と振り返る。
「戦争の悲惨さを描いているが、戦争反対を声高には叫ばず、師弟愛を前面に出している。素晴らしい作品に出演できて光栄です」

長谷川さんらは、入場者のアンケートを基に今後の作品を選ぶ。東京国立近代美術館フィルムセンターからも作品を借りて、季節ごとに上映会を開いていく考えだ。
上映は午後1時から本店4階ホールで。問い合わせは沼津信金本部総務課(055・962・5200)。

解説:二十四の瞳小豆島出身の作家壺井栄の小説を、松竹が1954年に映画化した。高峰秀子の主演。昭和3年、岬の分教場にやってきた新米の「おなご先生」を1年生12人が迎える。戦前から戦後にかけ、教師と教え子の心の交流を描く。同年のキネマ旬報ベストテン「日本映画」の1位に輝いた。

静岡新聞20日記事より


映画で心に残る町おこし 沼津・上本通り商店街

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 映画での町おこしに取り組む沼津市中心部の上本通り商店街振興組合(長谷川徹理事長)が23日、初の名画上映会で、同市本郷町の主婦保坂泰代さん(60)が出演した故木下恵介監督=浜松市出身=の名作「二十 四の瞳」を取り上げる。地元で再び注目されることになった保坂さんは「恥ずかしい気持ちです」と照れながらも、「若い人たちに見てもらいたい」と話してい る。
 姉の故章子さんとともに12人の子役の1人として出演。西口ミサ子の分教場時代を保坂さんが、本校時代を章子さんがそれぞれ演じた。子役は兄弟や姉妹1組で公募、全国から約1800組が応募したという。
 保坂さんは当時、沼津市立千本小の2年生。香川県小豆島での撮影は昭和29年3月に始まり、約2カ月半、旅館に泊まり込んだ。「みんな同じぐらいの年だから、すぐに仲良くなりました」と懐かしむ。
  印象深いのは、大石先生の見舞いに行くことを、子供たちが相談するシーン。木下監督が雲の位置や煙突の煙の流れに納得せず、何度も撮り直した。「その時は 分かりませんでしたが、今考えるとあのこだわりはすごかった」と振り返る。監督や俳優の素晴らしさとともに、「役者経験のない子供の素の演技が、ヒットの 一因になったのでは」との思いも強い。
 上本通り商店街には、30―40年代、10軒近い映画館があった。保坂さんの出演を以前から知っていた長谷川理事長は「知名度とともに、沼津とのゆかりを重視した」と、「二十四の瞳」を選んだ理由を説明する。
 台本の1ページ目にある「人間の幸福と平和を希ふ」との一文が、「木下監督の思いそのものでは」と保坂さん。「平和への願いや教師と教え子の心の触れ合いなど、見た人が何かを感じ取ってくれれば」と願う。
 上映は午後1時からで、入場無料。会場は同市大手町の沼津信用金庫大ホール。
(静新06年12月20日朝刊)
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