2009年04月

近代眼科の礎築く「荻生録造を顕彰」

 「荻生録造先生」内田務

 沼津信用金庫本店ストリートギャラリーで、代戯館まつりとして「近代眼科学の礎を築いた荻生録造博士展」が五月八日まで開かれている。
 博士は安政六年(一八五九)、幕臣福永清右衛門の三男として江戸麻布の屋敷に生まれ、後に江戸時代の有名な儒学者、荻生俎徠(おぎゅう・そらい)の一族の家督を継いだ。明治維新後、徳川家の駿河転封に伴って家族と沼津に移住し、兵学校附属小学校で学んだが、小学校の課程を修了するとドイツ語の勉学を思い立って上京。東京外国語学校で履修した。
 沼津に移住した旧幕臣は子弟の教育に力を入れ、明治元年(一八六八)に「代戯館」という学校を開設した。添地にあった長屋を校舎に充て、ござを敷き、黒板には雨戸を使うなど粗末なもので、その年の十二月に沼津兵学校附属小学校に引き継がれ、日本で最初の「小学校」となった。
 生徒は七歳以上の士族、庶民の子弟で、算術、地理、体操、乗馬、水泳、英語、フランス語を教える高度な小学校だった。
 兵学校設立時、頭取の西周(にし・あまね)は軍医養成のため、明治二年(一八六九)、城内字西条町に沼津陸軍医学所を開設。杉田玄端を陸軍医師・頭取として招いた。一方、荻生博士は明治十年(一八七七)、東大医科に入学、十七年(一八八四)に卒業とともに千葉医学校の一等教諭となり、四十三歳で千葉医学専門学校八現千葉大医学部)の校長兼病院長に就任。
 この間、三十八歳の時には日本眼科学会の創立発起人の一人として参画し、四十四歳の時には眼科学研究のため公費留学で一年間、ドイツに学び、四十七歳で東大から博士号を授与された。五十五歳で死去。
 ところで、戦後、沼津市立病院の運営を千葉大医学部が引き受けることになるが、ここには、幼少時に沼津に学んだ博士が長年在職した学校と沼津市との深いつながりを感じる。専門分野を追求する研究者であり、後進を指導する教育者でもあった博士は、本当に尊敬される人物ではなかったろうか、と今回の展示を拝見して思いをはせた。(フリーコピーライター、下香貫)
(沼朝平成21年4月29日号寄稿)


明治期、眼科治療の礎築く
 荻生録造展、沼津で来月8日まで
 沼津兵学校付属小学校の一期生として学び、明治期の眼科治療の礎を築いた荻生録造(1859?1914)の功績をしのぶ『医学博士荻生録造展」が沼津市大手町の沼津信用金庫本店ギャラリーで開かれている。29日午後1時からは同本店4階ホールで、荻生と沼津の医師たちとのつながりを探る記念講演会「荻生録造と沼津兵学校周辺の医師たち」が開かれる。入場無料。展示は5月8日まで。
 荻生は幕臣の子として生まれ、大政奉還で沼津に移住。同付属小で学んだ後、東京大学で眼科学を修め、後に千葉医学専門学校(現壬渠大)校長などを務めた。
 会場には、明治初頭の顕微鏡や手術道具、検査機器、書物など約100点が展示され、日本の眼科治療草創期の様子をしのばせる。
 企画運営を担当する同信金の溝渕俊次参与は「非常に貴重な明治期の眼球模型や、『沼津ライオンズクラブ』が日本のアイバンク運動に果たした役割の歴史なども展示しているので、ぜひご覧ください」と呼びかけている。
(朝日新聞平成21年4月28日朝刊)

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近代眼科の礎築く「荻生録造を顕彰」
 沼津で企画展 胸像や手術道具など展示
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 沼津で学び、近代眼科学の礎を築いた荻生録造(一八五九?一九一四年)を顕彰する企画展(静岡新聞社・静岡放送後援)が五月八日まで沼津市大手町の沼津信用金庫本店ストリートギャラリーで開かれている。歴史を切り口に町おこしに取り組む商店主らが、録造ゆかりの手術道具や眼球模型、模写、胸像など貴重な資料を集めた。今月二十九日には記念講演会を開く。
 録造は幕臣の子息として江戸麻布で生まれ、明治維新後の一八六九年(明治二年)に十歳で沼津兵学校付属小第一期生として入学した。二年間学んだ後、東大医学部などを卒業。四十三歳で千葉医学専門学校(現千葉大医学部)校長兼病院長に就いた。日本眼科学会の創立発起人の一人。
 三十四年にわたり眼科学のほか法医学教授も兼任。千六百人以上の医師を育てた。トラホームの研究などでも知られる。
 展示資料は、沼津兵学校付属小にかかわる偉人をテーマに、市活性化に取り組む上本通り商店街のメンバーらが収集した。親族や沼津市明治史料館をはじめ千葉大の眼科学研究室、千葉眼科記念館(茂原市)などの協力を得た。
 当時の医学生が眼科学を学んだ眼球模型などのほか、非常に明快だったと伝えられる録造の講義を筆録したノートなども展示している。
 記念講演会は二十九日午後一時から沼津信金本店で。国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学の樋口雄彦准教授が「荻生録造と沼津兵学校周辺の医師たち」を演題に講演する。入場無料。
(静新平成21年4月25日(土)朝刊)


沼津で少年時代「荻生録造展」医学博士の足跡
 沼津で少年時代を送り、近代眼科学を切り開いた医学博士、荻生録造(1859?1914)の足跡をたどる「荻生録造展」が、沼津市大手町の沼津信用金庫本店ストリートギャラリーで開かれている。5月8日まで。
 荻生は明治初めに沼津兵学校付属小学校に在籍。東京大学医学科に進み、1902年に43歳で千葉医学専門学校(現千葉大医学部)校長に就いた。同展では、愛用の扇子や荻生が教えた学生が筆記した講義録=写真=などを展示している。
 29日午後1時から、国立歴史民俗博物館の樋口雄彦准教授を招き「荻生録造と沼津兵学校周辺の医師たち」と題した記念講演会も沼津信金本店4階で開く。問い合わせは沼津信金(055・962・5200)。【安味伸一】
(毎日新聞平成21年4月23日朝刊)
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第25回こいのぼりフェスタ

沼津の5月の風物詩。

定額給付金・燦々ぬまづクーポン券

 定額給付金申請書を発送:沼津市
 沼津市は八日、国の定額給付金・子育て応援特別手当を支給するための申請書約九万千三百通を発送した。沼津商工会議所、沼津市商工会が販売するプレミアム付き商品券の発表に合わせ、予定を二日早めた。
 十五日から申請受け付けを始め、二十八日ごろに口座振り込みによる給付を始める予定。十月十五日に受け付けを締め切る。
 対象者は二十一万二千八百六人(うち外国人三千八百四人)で、給付総額は三十二億二千四百万円。十五日に旧市水道部庁舎から特別窓口を設け、午前八時半から午後五時十五分まで対応する。

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「ぬまづクーポン27日から発売」
 商議所と市商工会:取扱店の登録募集
 沼津商工会議所と沼津市商工会は二十七日から、10%のプレミアム付き商品券「お得な燦々(さんさん)ぬまづクーポン」を発売する。
 一枚千円の商品券十一枚つづり1冊を一万円で販売する。一人一回三冊まで購入可能で、利用期間は八月三十一日まで。発売数は五万冊で、総額五億五千万円。同日午前十時からキラメッセぬまづ、沼津市役所、沼津市商工会の本所と戸田支所で販売を開始し、完売と
なり次第終了する。
 商品券を使用できる店は、事前に実行委員会に申し込み、目印の「取扱店ポスター」を掲示した登録店のみ。同市内所在の事業所であれば登録が可能で、申し込みを受け付けている。問い合わせは実行委員会の沼津商工会議所〈電055(931)1111〉、沼津市商工会〈電055(966)1331〉へ。
(静新平成21年4月8日(水)朝刊)

燦々ぬまづクーポンいよいよ発売

FDAダイヤ 小松便、日帰り可能

FDAダイヤ 小松便、日帰り可能
 運賃、最大約4割引
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 静岡空港を拠点に航空事業に参入する鈴与のフジドリームエアラインズ(FDA、鈴木与平社長)は二十四日、七月二十三日の運航開始と運航ダイヤ、運賃を発表した。小型ジェット機(七十六席)二機の運航体制で、静岡発は小松行きが午前八時三十五分と午後四時四十五分の二便、熊本行きが午前八時四十五分、鹿児島行きは午後零時十五分。運賃は最大で四割前後安くなる割引制度を設けた。会見した鈴木社長は「安全運航が第一。搭乗率65%を目指したい」と述べた。
 一号機は午前中に小松間を往復した後、鹿児島に向かい、静岡に戻ってから再び小松間を往復する。二号機の運航は熊本間の往復にとどめ、昼過ぎからは静岡空港で待機する。「小松行きは日帰りもできる」とPRし、「定時運航を確保するため余裕を持った編成にした」と説明した。
 八月末までの夏季普通運賃(片道)は、小松二万三千八百円、熊本三万八千八百円、鹿児島四万八百円。二十八日前までに購入した場合、小松一万四千八百円、熊本二万千八百円、鹿児島二万三千八百円で、鈴木社長は「割引率は他に引けを取らない」と強調した。七日前購入、前日購入、身体障害者の割引料金も設定した。チケットは六月一日に発売する予定。来年春には三号機(八十四席)を導入する計画で、鈴木社長は増便や新路線の検討を進める方針を示した。
(静新平成21年4月25日(土)朝刊)

岩崎恭子さんが三嶋大社で挙式

”一番の幸せ”これからも
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 バルセロナ五輪、競泳女子二百?平泳ぎの金メダリストで沼津市出身の岩崎恭子さん(三〇)が、ラグビー元日本代表の斉藤祐也さん(三一)=豊田自動織機=と二十二日、三島市大宮町の三嶋大社で挙式した。
 純白の花嫁衣装に身を包んだ岩崎さんは、本殿までの参道をゆっくりと歩いた。「おめでとう」の声が掛かると、笑顔で「ありがとう」と手を振った。日大三島高水泳部の恩師、横井重行前監督は「かわいいお嫁さんですね。お相手はさすがラガーマン。たくましいですね。たっぷり寄り掛かれるのでは」と祝福した。
 岩崎さんは、沼津五中二年だった十四歳の時、バルセロナ五輪で金メダルを獲得し、「今まで生きてきた中で一番幸せ」と話した。日大三島高時代にはアトランタ五輪に出場、九八年に引退した。斉藤さんは日本代表やサントリー、神戸製鋼などでFWとして活躍し、一度は引退したが、〇七年に現役復帰した。
(静新平成21年4月23日(木)朝刊)
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