第6回代戯館まつり「荻生録造展」案内
期間:4月14日?5月8日展示:ぬましんストリートギャラリー
記念講演会:4月29日講師・樋口雄彦先生
荻生録造展資料PDF
「沼津ゆかりの荻生録造」
業績など代戯館まつりで紹介
代戯館まつり実行委員会(遠藤忠男実行委員長)は、「医学博士荻生録造展」を五月八日まで、大手町の沼津信用金庫本店ぬましんストリートギャラリーで開いている。第6回代戯館まつりの一環。
沼津兵学校頭取の西周は、学校に校医、軍隊には軍医や附属病院が必要なことをヨーロッパを視察して痛感。陸軍医局を現在の西条町に設けたが、一般も診療する方針だったので、単に「医局」と命名した。
荻生録造(一八五九?一九一四)は沼津兵学校出身。眼科が専門で、後に千葉医学専門学校(現千葉大学医学部)校長兼病院長となるが、これをきっかけに沼津の病院と千葉大医学部との関係が生まれる。
録造は次の校長となる外科学の三輪徳實と沼津の駿東病院の医療スタッフ充実に力を入れ、この流れをくんで昭和二十一年六月には沼津市立病院の運営を千葉大医学部が引き受けることとなり、教授が院長を兼ねるということもあった。現在も市立病院と千葉大医学部との密接な関係は続いている。
今回の展示は、千葉県茂原市の千葉眼科記念館及び隣接する眼科病院「永吉の眼科」、千葉大医学部などの協力で実現した。
旧幕府時代の沼津での医家は荻生家をはじめとして島津、中野、酒井、森岡、柳下、深沢、石井、相磯の九家と言われ、このうち荻生家は江戸時代の高名な儒学者である荻生徂徠の子孫。
録造は江戸に生まれ、徳川家移住の際に沼津に移住。兵学校一期生として入学し、柳下家の血筋を引く福永家から荻生家に養子に入った。
録造の長男の広一は兵庫県で開業医、三男の規矩夫は京都帝国大学医学部を卒業し、後に京都大学医学部長、関西大学学長・理事長を務めた。
今回の展示では、リンゴ大の眼球のキンストレーキ(眼球模型)は、茂原市の千葉家(永吉の眼科)に保存されているもので、明治三十三年に八円(現在の六、七十万円)で購入された。千葉家以外では東大で同じものを所有するが、極めて希少。分解でき資料的価値も高い。
このほか、録造の講義を学生が清書したノート、録造の筆洗い、毛筆、硯、文鎮、愛用した扇(能扇)などが展示されている。
また、二十九日午後一時から沼信本店四階ホールで開かれる記念講演会で講師を務める国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学・樋口雄彦准教授の『沼津兵学校の研究』、これまで代戯館まつりで講師を務めるなどしている四方一瀰・元国士舘大教授による「「中学校教則大綱」の基礎的研究』の書籍も紹介している。
さらに、沼津兵学校附属小学校で用いられた教科書や、沼津と眼科との関わりから、真楽寺の勧山弘住職を中心にライオンズクラブによって全国的に輪を広げたアイバンク運動の紹介パネル、東方寺(浅間町)の目薬に関する展示品もある。
夜間は十時までライトアップされ、見学できる。
(沼朝平成21年4月23日号)
荻生録造と兵学校周辺の医師たち
代戯館まつりで29日に記念講演会
代戯館まつり実行委員会(遠藤忠男委員長)は、第6回代戯館まつりを開催しているが、二十九日午後一時から大手町の沼津信用金庫本店四階ホールで記念講演会を開く。国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学の樋口雄彦准教授が「荻生録造と沼津兵学校周辺の医師たち」をテーマに話す。
荻生は安政六年(一八五九)、幕臣福永清右衛門の三男として出生。明治七年、東京外国語学校(現東京外国語大)でドイツ語を専修。同十年、東京大学医学科に入学し、十七年の卒業とともに千葉医学校の一等教諭に。同三十五年、四十三歳で千葉医学専門学校(現千葉大医学部)校長兼病院長・眼科司療長の要職に就き、大正三年に病没するまでその職にあった。
入場無料。希望者は当日直接会場へ。
(沼朝平成21年4月21日(火)号)
期間:4月14日?5月8日展示:ぬましんストリートギャラリー
記念講演会:4月29日講師・樋口雄彦先生
荻生録造展資料PDF
「沼津ゆかりの荻生録造」
業績など代戯館まつりで紹介
代戯館まつり実行委員会(遠藤忠男実行委員長)は、「医学博士荻生録造展」を五月八日まで、大手町の沼津信用金庫本店ぬましんストリートギャラリーで開いている。第6回代戯館まつりの一環。
沼津兵学校頭取の西周は、学校に校医、軍隊には軍医や附属病院が必要なことをヨーロッパを視察して痛感。陸軍医局を現在の西条町に設けたが、一般も診療する方針だったので、単に「医局」と命名した。
荻生録造(一八五九?一九一四)は沼津兵学校出身。眼科が専門で、後に千葉医学専門学校(現千葉大学医学部)校長兼病院長となるが、これをきっかけに沼津の病院と千葉大医学部との関係が生まれる。
録造は次の校長となる外科学の三輪徳實と沼津の駿東病院の医療スタッフ充実に力を入れ、この流れをくんで昭和二十一年六月には沼津市立病院の運営を千葉大医学部が引き受けることとなり、教授が院長を兼ねるということもあった。現在も市立病院と千葉大医学部との密接な関係は続いている。
今回の展示は、千葉県茂原市の千葉眼科記念館及び隣接する眼科病院「永吉の眼科」、千葉大医学部などの協力で実現した。
旧幕府時代の沼津での医家は荻生家をはじめとして島津、中野、酒井、森岡、柳下、深沢、石井、相磯の九家と言われ、このうち荻生家は江戸時代の高名な儒学者である荻生徂徠の子孫。
録造は江戸に生まれ、徳川家移住の際に沼津に移住。兵学校一期生として入学し、柳下家の血筋を引く福永家から荻生家に養子に入った。
録造の長男の広一は兵庫県で開業医、三男の規矩夫は京都帝国大学医学部を卒業し、後に京都大学医学部長、関西大学学長・理事長を務めた。
今回の展示では、リンゴ大の眼球のキンストレーキ(眼球模型)は、茂原市の千葉家(永吉の眼科)に保存されているもので、明治三十三年に八円(現在の六、七十万円)で購入された。千葉家以外では東大で同じものを所有するが、極めて希少。分解でき資料的価値も高い。
このほか、録造の講義を学生が清書したノート、録造の筆洗い、毛筆、硯、文鎮、愛用した扇(能扇)などが展示されている。
また、二十九日午後一時から沼信本店四階ホールで開かれる記念講演会で講師を務める国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学・樋口雄彦准教授の『沼津兵学校の研究』、これまで代戯館まつりで講師を務めるなどしている四方一瀰・元国士舘大教授による「「中学校教則大綱」の基礎的研究』の書籍も紹介している。
さらに、沼津兵学校附属小学校で用いられた教科書や、沼津と眼科との関わりから、真楽寺の勧山弘住職を中心にライオンズクラブによって全国的に輪を広げたアイバンク運動の紹介パネル、東方寺(浅間町)の目薬に関する展示品もある。
夜間は十時までライトアップされ、見学できる。
(沼朝平成21年4月23日号)
荻生録造と兵学校周辺の医師たち
代戯館まつりで29日に記念講演会
代戯館まつり実行委員会(遠藤忠男委員長)は、第6回代戯館まつりを開催しているが、二十九日午後一時から大手町の沼津信用金庫本店四階ホールで記念講演会を開く。国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学の樋口雄彦准教授が「荻生録造と沼津兵学校周辺の医師たち」をテーマに話す。
荻生は安政六年(一八五九)、幕臣福永清右衛門の三男として出生。明治七年、東京外国語学校(現東京外国語大)でドイツ語を専修。同十年、東京大学医学科に入学し、十七年の卒業とともに千葉医学校の一等教諭に。同三十五年、四十三歳で千葉医学専門学校(現千葉大医学部)校長兼病院長・眼科司療長の要職に就き、大正三年に病没するまでその職にあった。
入場無料。希望者は当日直接会場へ。
(沼朝平成21年4月21日(火)号)
「荻生録造展1 」