2010年03月

沼津商議所14年度に新会館

 沼津商議所 14年度に新会館

 総会で承認建設準備委発足へ

 沼津商工会議所(後藤全弘会頭)29日、通常議員総会を開き、沼津市米山町に新商議所会館を整備するための建設準備委員会の発足を承認した。創立90周年にあたる2014年度までの完成を目指す。

 委員会は議員で組織し、新会館に備える基本的な機能などを検討する。商議所は05年度に中心市街地活性化基本計画区域内への移転を検討し、096月、米山町の約3100平方㍍の用地を45千万円で取得した。

 後藤会頭はあいさつで「新会館建設は重要課題の一つ。新年度は具体化に向けた検討に入る」と方針を明らかにするとともに、県東部の合併についても触れ、三島商議所多極分担型地域検討特別委員会が示した「3年後をめどに23町が合併することが望ましい」との構想にも賛意を示し、「合併特別委員会で今後検討したい」と述べた。

 総会には約80人が出席した。主な新規事業は、ロケ誘致に向けた地域資源データベース「ロケーション・ライブラリー」の活用、2年目を迎えた中期行動計画(0913年度)の実行など。

 講演では栗原裕康市長が、新年度の施政方針や鉄道高架事業について現状を説明した。

(静新平成22330()号)

 

「海人祭」工事で休止

 「水産祭」は522日開催

 沼津商議所が報告

 海をテーマにイベントを繰り広げる「海人祭」の事務局を務める沼津商工会議所は29日、新年度の同祭を休止すると通常議員総会で報告した。例年同日開催していた「水産祭」は522日に実施し、水産物の即売や体験競市を予定している。

 例年海人祭の会場になる魚市場第2市場は、県と市の「港湾振興ビジョン」に基づく整備工事で駐車場の数が例年より大幅に減少する。このため大規模な交通渋滞が予想され、来場者の安全確保が困難と判断した。事務局側は「次年度以降はより充実するよう検討を進めたい」と述べた。

(静新平成22330()朝刊)

沼津市人事異動(部長級)

沼津市異動

  行革担当理事戸野谷氏

 エコ担当参事監は室伏氏

 沼津市は19日、41日付の人事異動を内示した。異動は772人で昨年より6人増えた。部長級の退職者は2人。

 企画部に新設した行政改革担当理事には戸野谷清市立病院事務局長、技監には土屋一成建設部長が就く。生活環境部にもエコ担当の参事監を配置し、室伏孝修生活環境部長が就任する。監査委員事務局長は中村滋市民福祉部長が務め、後任には同市初の女性幹部職員として大竹薫障害福祉課長を登用した。また県は、平野忠幸県建設部管理局総務監付技監が退職し、市建設部建設統括監に就任すると発表した。

 【部長級】企画部理事=行政改革担当(市立病院事務局長)戸野谷清▽企画部技監(建譲剖長)土屋一成▽産業振興部長(教育委員会事務局教育次長)村上益男▽生活環境部長(産業振興部長)望月孝夫▽生活環境部参事監=エコ担当(生活環境部長)室伏孝修▽監査委員事務局長(市民福祉部長)中村滋▽市民福祉部長(市民福祉部福祉事務所障害福祉課長)大竹薫▽建設部長(建設部参事兼河川課長)松下博彦▽市立病院事務局長(企画部政策企画課長)高橋強▽水道部参事監=下水道事業担当(建設部参事兼維持管理課長)荒木保光▽教育委員会事務局教育次長(財務部財政課長)海瀬治

 【次長級】企画部参事兼地域自治課長(企画部参事兼地域づくり推進課長)杉山一男▽消防本部参事兼北消防署長(消防本部参事兼南消防署長)植松和民▽図嘗館長(財務部参事兼総務課長)関政美▽財務部税務長(生活環境部交通対策課長)真野雅樹▽財務部参事兼工事検査課長(都市計画部岡宮北区画整理事務所長)宮川千朗▽市民福祉部福祉事務所長(企画部秘書課長)鈴木敬人▽生活環境部クリーンセンター所長(生活環境部ごみ対策推進課長)鈴木勝▽消防本部防災監(消防本部防災地震課長)大嶽一男▽消防本部参事兼南消防署長(消防本部救急警防課長)内村治次▽水道部参事兼上水道工務課長(都市計画都市街地整備課沼津駅周辺区画整理事務所長)稲村正美▽同兼下水道整備課長(水道部下水道整備課長)風野幹明▽選挙管理委員会事務局参事兼事務局長(同水道サービス課長)木村幸二▽教育委員会事務局参事=文化財担当(教育委員会事務局文化振興課副参事)鈴木裕篤

 

(静新平成22320()朝刊)

地価公示

地価公示 沼津市

 商業地は2年連続の下落で、変動率はマイナス1・0%。中心部の物件の動きは少なく、「様子見の状態」(業者)が続いている。郊外は幹線道路沿いで1千平方㍍以上の規模の物件が関心を集めている。

 住宅地の変動率はマイナス1・4%。落ち込みの幅は前年の2倍に広がったが、中心部に比較的近い金岡、大岡南部の商業施設周辺はむしろ引き合いが強くなっている。

 「好条件の物件は造成中でも買い手が付く。半面、狭い道路沿いはほとんど動かない」と不動産業者。周辺部でも新しい造成地は人気が高い。実例では大岡で12万円前後、原で911万円台など。

【 公示地価 地価公示法に基づき、国土交通省の土地鑑定委員会が年1回公表する土地の価格。都市計画区域を中心に選んだ標準地について、不動産鑑定士が周辺の取引事例などから11日時点の1平方㍍当たりの価格を算定する。一般の土地取引や固定資産税などの目安となり、公共事業の用地買収の価格決定にも活用される。地価の指標は、71日時点の地価を毎年9月に公表する都道府県地価(基準地価)3カ月ごとの地価動向報告などがある。】

(静新平成22319()朝刊)

100319-02
 

長泉、県内唯一の上昇:地価公示

立地と施策が充実 子育て世代、関心高く

 18日に公表された国の地価公示で、長泉町が抜群の存在感を示した。2008年秋に始まった金融不況で地価は下落が続き、住宅地の調査地点のうち今回上昇したのは全国約18千のうちわずか6地点。このうち2カ所が同町内だった。東京から約100㌔。首都圏への新幹線通勤圏という立地条件に加え、ハード、ソフト両面の施策の充実が定住希望者を引きつけているようだ。

 上昇したのは同町下土狩の2地点。変動率はともにプラス08%で、残る町内の4地点は横ばいだった。市町別の平均変動率の上位をみると、清水町、裾野市、三島市、伊東市と県東部が続くが、上昇は長泉町だけだ。

 「道路整備や子育て支援といった生活関連施策が充実しているのが大きい」と宅地分譲を手掛けるハウスメーカーは長泉町の優位性を分析する。1990年代後半に整備が始まった都市計画道路が供用時期を迎え、三島などへのアクセスが格段に向上した。近い将来はJR三島駅と新東名を結ぶ都市計画道も通じる。

 高い財政力を背景に02年に導入した子ども医療費の無料化施策も支持を集める。09年度は対象を中学3年生以下まで拡大した。合計特殊出生率は県内トップで、人口増加は続く。沼津市内の不動産業者は「近隣市町から長泉へ子育て世代の転入希望が目立つ」と解説する。

 同町の池田修総務部長は「がんセンターの存在を含め、あらゆる要因が相乗効果を生んでいる。転入希望が多いことの一因に施策への評価があるのなら、行政としてもろれしい」と話した。

(静新平成22319()朝刊)
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第7回代戯館まつり「真野文二展」


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 真野文二の生涯とその功績

 文久元年幕臣真野肇の長男として江戸に出生。父とともに沼津に移住し、親子でそれぞれ兵学校と附属小学校に入学した。附属小学校から引き続き集成舎変則科で学び、明治7年上京、翌年工学寮(工部大学校の前身)に入学。14年に工部大学校を卒業、同校の助教授となり、19年にはイギリスに留学してグラスゴー大学で機械工学を学んだ。22年帰国、帝国大学工科大学(工部大学校が東大に合併)教授に就任、24年には工学博士となった。その間、イギリスの権威ある技術者の会(.Mech.E)の会員に推薦、明治30年に機械学会を設立。その経緯は、イギリスへ留学時代、大学学位以上に尊ばれているI.Mech.E(イギリス機械学会の会員)に一驚し、日本にも権威ある機械学会が必要であると痛感し、帰国後、有志とはかって学会創設の準備にとりかかり明治30612日に正員72名による総会を開催し創設した(博士36歳の時)。明治34年から大正2年までは文部省実業学務局長兼東大教授として、我が国実業教育の振興拡充に尽力した。この間、415月九州帝国大学工科大学の創立準備委員として、場所の調査、建設設備等その創立事務に当たり、九州帝国大学の創立とともに、その初代総長に擬せられた。また425月には東京高等商業学校事務取扱として、同校の商科大学昇格問題にともなう紛擾を、老練の手腕をもって平和裡に処理している。時の山本権兵衛内閣は、文官任用令の改正、行財政および税制の整理を企図し、行財政の整理の主眼は局課を廃合し官吏を減じ、執務の系統を正すことにあった。文部省ではこの行政整理の結果として実業学務局を廃して(大正2613日実施)、専門学務局に合併することとなり、実業学務局長真野文二は、山川健二郎の後を襲って九州大学第2代の総長となった。

大正2年から同15年までは九州帝国大学総長として、同大学の総合大学化を推進した。専門は工学だが、教授で実業学務局長も勤まる器用な人柄であることから、大正82月には医科大学、工科大学はそれぞれ医学部、工学部と改称、同9年には農学部、大正13年には法文学部と相次いで開設決定、いよいよ綜合大学の実を備えた内容となっていく中、大正12年の暮れ工学部本館が全焼、翌年7月には医学部の特診事件、続いて臨床の合同教室、基礎の法医、衛生、細菌3教室の2度にわたる怪火事件や不祥事件が続発、大正153月引責辞職に追いこまれることになった。

 真野は外柔内剛、当たりが柔らかいために外部の評判がよく、文部省の部下にもこまかい所に気を

配るなど人の和につとめ、後進に親切で部内の信望は高かった。学内運営は、諸施設の充実整備はもちろん、教官は活発に研究を続け、相競って成果を世に問うていたが、この内に貯えられた学術上の蓄積は、新知識として学外一般に提供されることとなる。文二の九大発展時代の総長としての功績は大きいものがあった。

 昭和2年には貴族院議員、同14年には枢密顧問官に挙げられ、同21年に亡くなった。

 

 

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