宮沢喜一元首相が死去・87歳、保守本流をリード
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宮沢喜一(みやざわ・きいち)元首相が28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区の自宅で死去した。87歳だった。憲法9条改正に慎重な自民党内のハト派の論客で、「軽武装・経済重視」の保守本流路線を進めた。戦後日本の枠組みづくりに立ち会うなど戦後政治の「生き証人」と呼ばれた。

 通夜は30日、密葬は7月1日に、東京都港区南青山2ノ33ノ20の青山葬儀所で近親者のみで執り行う。喪主は妻の庸子さん。

 1919年、東京生まれ。東大法卒。42年に旧大蔵省に入省、池田勇人蔵相の秘書官として51年のサンフランシスコ講和会議に全権団の随員として出席した。後に首相になった池田氏が政治の師。53年の参院選に出馬し、初当選した。62年の池田内閣で経済企画庁長官として初入閣。67年、衆院にくら替えし、以後、通産相、外相、官房長官、蔵相など主要閣僚を歴任した。(19:15)(日経ITニュース)

●宮沢内閣当時、郵政政務次官を務めた斉藤斗志二衆院議員(東海比例)は、出身高校が宮沢氏と同窓。「財政、外交政策に明るかった。タカ派と
される中曽根(康弘元首相)氏と対比されたが、宮沢氏の死でハト派の代表格がいなくなったような寂しさを感じる」と悲報に驚いた。国会議員による同窓会でもたびたび同席し「常に知性を感じさせる保守本流の方だった」とめい福を祈った。(静新平成19年6月29日(金)朝刊)
●宮沢元首相・戦前沼津で税務署長
二十八日死去した宮沢喜一元首相は戦中、沼津税務署長を務めた。今も署長室には第十九代署長「宮沢喜一」の木札が歴代署長の名と並んで掲げられている。
宮沢氏は東京帝大(現東京大)卒業後、大蔵省(現財務省)に入省し、一年後の昭和十八年一月、二十三歳の若き署長として沼津税務署に赴任した。在任は同年八月までの短期間だったが、大蔵大臣時代の昭和六十二年、沼津法人会の創立三十周年記念誌には「岡野喜太郎さん(スルガ銀行初代頭取)、大昭和の斉藤知一郎さんなどと良くおつき合いしました」などと沼津時代の思い出を寄稿している。(静新平成19年6月29日(金)朝刊)
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