N700系・新型車両

N700系「出発進行」JR品川駅で出発式
60f2b5d2.jpg

JR東海、西日本が共同開発した東海道・山陽新幹線の新型車両N700系が一日のダイヤ改正でデビュー、品川発博多行きの一番列車のぞみ99号の発車に合わせ、品川駅で出発式が開かれた。
N700系は空気バネで車体を傾け、東海道区間のカーブを減速せず時速二百七十?で曲がり、山陽区間は最高速度三百?で走る。車内は全席禁煙。東京と新大阪を最速二時間二十五分、博多を四時間五十分で結ぶ。のぞみ99号は、従来の一番列車のぞみ1号の前に新設された。
式では松本正之JR東海社長が「現在の技術と将来の可能性を結集した最高水準の車両」とあいさつ。くす玉が割られ、ほぼ満員の約千三百人を乗せたのぞみ99号は、ホームに集まった数百人の鉄道ファンに見送られて定刻通り午前六時に発車。新大阪駅からも同じ時刻、東京行きのN700系のぞみ100号が出発した。東海道・山陽新幹線の新型車両は一九九九年登場の700系以来八年ぶり。(静新平成19年7月2日(月)朝刊)

参考新幹線列車の原点「アジア号」満鉄
f482683b.jpg

↑イラスト「歴史街道6月号・大川明」

宮沢喜一氏死去・沼津時代

宮沢喜一元首相が死去・87歳、保守本流をリード
e8ab8812.jpg
 
宮沢喜一(みやざわ・きいち)元首相が28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区の自宅で死去した。87歳だった。憲法9条改正に慎重な自民党内のハト派の論客で、「軽武装・経済重視」の保守本流路線を進めた。戦後日本の枠組みづくりに立ち会うなど戦後政治の「生き証人」と呼ばれた。

 通夜は30日、密葬は7月1日に、東京都港区南青山2ノ33ノ20の青山葬儀所で近親者のみで執り行う。喪主は妻の庸子さん。

 1919年、東京生まれ。東大法卒。42年に旧大蔵省に入省、池田勇人蔵相の秘書官として51年のサンフランシスコ講和会議に全権団の随員として出席した。後に首相になった池田氏が政治の師。53年の参院選に出馬し、初当選した。62年の池田内閣で経済企画庁長官として初入閣。67年、衆院にくら替えし、以後、通産相、外相、官房長官、蔵相など主要閣僚を歴任した。(19:15)(日経ITニュース)

●宮沢内閣当時、郵政政務次官を務めた斉藤斗志二衆院議員(東海比例)は、出身高校が宮沢氏と同窓。「財政、外交政策に明るかった。タカ派と
される中曽根(康弘元首相)氏と対比されたが、宮沢氏の死でハト派の代表格がいなくなったような寂しさを感じる」と悲報に驚いた。国会議員による同窓会でもたびたび同席し「常に知性を感じさせる保守本流の方だった」とめい福を祈った。(静新平成19年6月29日(金)朝刊)
●宮沢元首相・戦前沼津で税務署長
二十八日死去した宮沢喜一元首相は戦中、沼津税務署長を務めた。今も署長室には第十九代署長「宮沢喜一」の木札が歴代署長の名と並んで掲げられている。
宮沢氏は東京帝大(現東京大)卒業後、大蔵省(現財務省)に入省し、一年後の昭和十八年一月、二十三歳の若き署長として沼津税務署に赴任した。在任は同年八月までの短期間だったが、大蔵大臣時代の昭和六十二年、沼津法人会の創立三十周年記念誌には「岡野喜太郎さん(スルガ銀行初代頭取)、大昭和の斉藤知一郎さんなどと良くおつき合いしました」などと沼津時代の思い出を寄稿している。(静新平成19年6月29日(金)朝刊)
fa39d413.jpg

--------------------------------------------------------------------------------

フジモリ氏出馬

フジモリ氏が出馬表明 国民新党から参院選に
2007年6月28日 08時52分(東京新聞ITニュース)
 66794ec3.jpg
フジモリ元ペルー大統領
 【サンティアゴ27日共同】南米チリで自宅軟禁下にあるフジモリ元ペルー大統領(68)は27日、国民新党の公認候補として7月の参院選に立候補することを正式表明した。同党による出馬要請を受けたもので、比例代表での擁立が検討されているという。

 フジモリ氏は日本国籍も保有し被選挙権を持つ。公選法上、外国で自宅軟禁されたままでも立候補は可能で、外国の元国家元首が日本の国政選挙に出るのは初めてとみられる。

 ただ、フジモリ氏は1990年から10年間の大統領在任中の市民虐殺事件などで刑事訴追され、ペルーが身柄引き渡しを要請。これを受けて、チリ最高裁が近く引き渡しの是非をめぐる審理の結論を言い渡す見通し。当選した場合、登院しなくても当面、法的に問題はないという。

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

paipudes

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ