「江川酒」(静新2月27日朝刊)
狩野川にある蛭ヶ島を中州とする支流は江川と呼ばれていたとされますが、後北条時代、大和から移ってきた宇野氏によりこの地で名酒「江川」が醸造された歴史があります。後北条氏のもとで名酒「江川」はつくられており、上杉謙信や織田信長にも贈られたといわれています。また、宇野氏は製薬も営み、全国に酒や薬の販路を開き、一族が栄えていきました。宇野氏が江川姓を名乗り、その一族の中から頭角をあらわして、徳川家康に接近していったのは江川英長の時です。
江川英長は、慶長元(一五九六)年五千石の代官となって献上酒「江川」の酒造業も続けます。後に頼宣を生んだお万の方(養珠院)を徳川家康の側室にしたのは英長であると伝えられています。これが近世の韮山代官江川氏のはじまりだといいます。
狩野川にある蛭ヶ島を中州とする支流は江川と呼ばれていたとされますが、後北条時代、大和から移ってきた宇野氏によりこの地で名酒「江川」が醸造された歴史があります。後北条氏のもとで名酒「江川」はつくられており、上杉謙信や織田信長にも贈られたといわれています。また、宇野氏は製薬も営み、全国に酒や薬の販路を開き、一族が栄えていきました。宇野氏が江川姓を名乗り、その一族の中から頭角をあらわして、徳川家康に接近していったのは江川英長の時です。
江川英長は、慶長元(一五九六)年五千石の代官となって献上酒「江川」の酒造業も続けます。後に頼宣を生んだお万の方(養珠院)を徳川家康の側室にしたのは英長であると伝えられています。これが近世の韮山代官江川氏のはじまりだといいます。