2006年03月

さよなら湘南電車

6eda5233.jpg


さようなら「国電103系」「湘南電車」
高度経済成長期に通勤客の足を支えた国鉄「103系」電車がJRのダイヤ改正に伴い、十七日の運行を最後に首都圏から全廃される。
山手線に一九六三年、黄緑色で初登場。鉄の車体は常磐線では青緑、京浜東北線は青と、塗色を変え次々と国電に導入され、世界最多の約三千五百両が量産された。
八○年ごろ乗務したJR東日本の元車掌(四七)は「当時は高性能の最新型。乗車率は300%で、今では考えられない混雑ぶりだった」と振り返る。
首都圏では、常磐線の一編成だけが運行していたが、この日、最後の電車が上野駅を午前十時十二分に出発。
またオレンジと緑の二色で「湘南電車」と呼ばれ、東海道線の東京?熱海を走る「113系」も引退し、後進のステンレス製新車両に道を譲る。103、113系は都心から姿を消すが、関西や地方では今後も現役として運行を続ける。(静新3月17日夕刊)

沼津東

沼津東高・理数科研究の成果発表
沼津市岡宮の県立沼津東高で十七日、理数科の課題研究発表会が開かれた。二年生四十人が九グループに分かれ、昨年夏から半年以上を費やした研究の成果を発表した。
運動と乳酸の関係、台風が発生する仕組みなど、身近な疑問を実験で明らかにした。狩野川の水質汚染の原因を調べたグループは、水中のCOD(化学的酸素要求量)などの成分を継続的に観測。家庭や農地での水使用量が増える夏に汚染物質が多いことを示し、洗剤やし尿、農薬が水質に与える影響を説明した。理数科設立以来、毎年続く同校の名物行事。近隣中学の教員や保護者らも大勢聴講に訪れた。(静新3月18日朝刊)

興国寺城

91058055.jpg


興国寺城跡調査で現地説明会
本丸跡一部などの様子を公開
市教委は、興国寺城跡発掘調査説明会を根古屋の現地で開き、関心を寄せる市民が参加、市文化財センター職員から説明を聞いた。
同城は、戦国大名の先駆けとなった伊勢新九郎長氏、後の北条早雲が関東に侵出し後北条五代の礎を築く足掛かりとなった城。妹が嫁いだ今川家の跡目相続をめぐる内紛を治めた功績によって与えられ、ここを拠点に堀越公方を名乗った足利茶々丸を攻めて韮山を手中にした。これが東国の戦国時代の始まりと言われる。この後、小田原を収め、戦国大名としての地歩を固めた。その後、城は今川氏に戻り、今川氏衰退後は武田と北条の争奪の渦中に巻き込まれながら武田氏が支配。武田氏が滅亡すると徳川のものとなり、江戸時代に入って天野康景が一万石の大名として城主となったが幕府側とのもめごとで出奔、廃城となった。
昭和五十七年には、天守台跡、東船着場と伝えられる跡で発掘調査を行い、石垣や建物礎石群などの遺構が明らかになった。平成七年三月十七日付で国史跡に指定された。指定の理由では「北条早雲は、この城を最初の足がかりとして勢力を伸ばし、堀越公方を倒して戦国大名として成長していったことは名高い。後に今川氏、武田氏の城として使われ、その後廃城となったが、現在も本丸、二の丸、北の郭、三の丸土台などの遺構が良好に残っている。戦国時代の幕開けを示す遺跡として重要である」とされた。
市教委では、史跡整備に向けて十五年度から本格的な調査を続け、毎年度末、市民向けに現地説明会を開催し、発掘調査の成果を報告している。
十七年度は、本丸の一部と、石火矢台として伝わる遺構、それと空堀を対象に約三、○○○平方?を調査している。この調査では、本丸跡から排水溝を切る溝や南側土塁の北端基底部の土留め石が確認されている。また、石火矢台でも土塁が出土した。
石火矢は、当初ポルトガルから伝わった大砲を指し、後に大砲一般の呼称として使われた。石火矢台は石火矢を据えた場所だが、興国寺城に関し、石火矢台の存在を示す古い絵図があり、発掘は、これによって行われている。早雲の時代には石火矢が存在する状況にあったとは考えにくいが、同城は戦国時代初めから江戸時代初頭までの約百年間にわたって存在しており、石火矢台としての用途があったとすれば城の歴史の後半。鉄砲の弾は出土している。一方、空堀は底部を掘削し、堀幅や深さ、形状を確認した。(沼朝3月9日号)

東名事故現場

c5eae14c.jpg

平成18年3月7日午前9時30分ごろ撮影
トラック2台の転倒事故
岡崎インター手前1キロ地点(下り線)

飛鳥?

d41ca252.jpg

4c389f19.jpg


飛鳥?初入港
祝って歓迎式・清水港、船内見学も
お披露目航海で全国を回っている豪華客船「飛鳥?」の清水港初入港を祝い、県や市、清水港客船誘致委員会(望月薫会長)などの関係者が二日、静岡市の清水港日の出埠頭(ふとう)に接岸した同船を訪れ、船内で歓迎式典を行った。
望月会長は「就航後、間もなく清水港にその姿を見せてくれたことが非常にうれしい」と話し、「飛鳥?が日本のクルージングファンを掘り起こし、ますます栄えていくことを祈っています」とあいさつ。
小田武船長は同港での温かい出迎えに感謝し「生まれたばかりの客船ですが、末永く愛される船にしていきたい」と話した。花束や記念品の贈呈も行った。
式典後、メンバーは船内見学を行った。プールや食堂のほか、今回の日本人客用の改装で新たに誕生した大浴場やエステルーム、インターネットプラザなども回り、設備からインテリアデザインまで趣向を凝らした内装に驚いていた。
飛鳥?は同日午後五時、名古屋に向けて清水港を出港した。(静新3月3日朝刊)
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

paipudes

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ