2006年05月

前田選手

前田選手(沼東出身)日本代表に
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競技生活の原点は狩野川・「地元に恩返したい」
県立沼津東高ボート部出身の前田真吾選手(東北大四年)が七月、ベルギーで開催されるボートの世界U23(二十三歳以下)選手権の日本代表に内定した。軽量級かじなしフォア(四人こぎ艇)のクルーとして派遣される。高校時代、放課後通った故郷の狩野川が競技生活の原点。帰省のたびに母校の練習に顔を出すという前田選手は、地元の期待を背負い世界に羽ばたく。
男子代表に選ばれたのはわずか六人。前田選手は「一つの目標ではあったが、残れるとは思っていなかった」と驚き半分で喜びを表現する。父の拓夫さん(沼津中央高教諭)は「見た目は優しいが、しんがある」と話す。
小学生で野球、中学ではテニス部に所属していた。ボートを始めたのは高校時代。新しいスポーッに取り組みたい気持ちだった。母礼子さん(三島南高教諭)は大学のボート部出身、姉の真由子さんは沼津東高ボート部で活躍していたという影響もあった。
高校では全国選抜大会のかじつきクオドルプルで六位入賞した。「試合で勝つ楽しさを知り、ボートの魅力を感じるようになった」。大学では圧倒的に練習量が増え、筋力強化にも励んだ。二〇〇四年の全日本選手権ではかじなしフォアで三位、同年の全日本大学選手権はかじなしペアで優勝するなどの実績を残した。
現在は本番に備えて一カ月に一度、約一週間の強化合宿に参加している。かじなしフォアのクルーのうち一人は同じ大学、ほかの二人の所属は別々。まず、全員が動きを合わせることが課題だ。個人としての課題は減量。体力を維持しながら、体重を落とさなくてはならない。前田選手は「勝ってみんなに恩返しがしたい」と周囲の期待を力にかえ、メダル獲得を目指す。(静新5月28日朝刊)

やまびこ荘

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やまびこ荘・西伊豆町
子どもが遊んだ自然今も
木造の建物が郷愁を誘う西伊豆町営の宿泊施設「やまびこ荘」。同町大沢里の山々に囲まれた同施設は、かつて地元の子供が机を並べた小学校だった。
教室は客間に、宿直室と給湯室は浴室に改装され、授業の始まりを知らせるチャイムの鐘は玄関の呼び鈴として残っている。
三十年前に宿泊施設へ改装された旧大沢里小学校には、約百八十人の児童が通っていた。「遊び場といえば山と川と運動場」。施設の作業員で卒業生の山本光夫さん(六四)は当時を振り返り、今も変わらない風景に笑顔を見せる。
山吹や米桜など、四季折々の植物が咲き乱れる群生地。初夏には天然記念物のモリアオガエルの産卵が見られ、ライダーやサイクリング客の疲れを癒やす場としても親しまれている。(静新5月27日「ふるさと探訪」)

鮎つり解禁

狩野川「成育順調、全域で有望」
漁期は五月二十一日から十二月三十一日まで。修善寺川と持越川大えん堤上流な七月一日から十二月三十一日まで。大見川の梅木えん堤上流は、八月一日から十二月三十一日まで。柿田川は五月二十一日から翌年一月三十一日までだが、十一月十日から同三十日までは禁漁。漁法は友釣りとドブ釣り。柿田川はエサ釣りもできる。
天然アユの遡上は非常に良いが、半面、型は小さい。稚魚放流は三月十五日から開始し、五千三百?と昨年並みを確保した。成育は順調。十一日に試し釣りを計画したが、降雨の濁りで釣りのできたのはニカ所だけ。大見川の小川橋付近では一時間に二人で二十八匹、1120?。神島橋付近では十七匹、六八○?。五五?が最大だった。昨年は釣れる場所が上流部に限られた。しかし、今年は中上流全域で好漁を望めそうだ。(静新5月18日朝刊)
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安楽死

「断食安楽死」山折 哲雄
薬物投与超えた視点で
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ことしの三月、富山県の射水市民病院で表面化した「人工呼吸器外し」の事件をきっかけに、安楽死の問題がふたたび大きな議論になった。十五年前の「東海大安楽死事件」のときもそうだった。こんどのも、それにつぐ起こるべくして起こった終末期医療のひとこまだ。
このようなことは、医療の現場ではいつでも起こっているのではないか。ただ表沙汰(ざた)になっていないだけではないのかとも思う。それがこの高齢化社会において避けられない運命であるならば、安楽死の課題をそろそろ正面にすえて考えるべきときにわれわれはきていることになる。
私はかねて、安楽死には二つの方法があると思ってきた。モルヒネ安楽死と断食安楽死、である。しかし今日、論議の対象になるのはもっぱら、モルヒネで苦痛を緩和しつつ医師が患者を死なせる、操作医療的な安楽死の是非についてであり、後者の断食安楽死についてはほとんど話題にのぼることがない。
そのことの重要性にくらべれば、「人工呼吸器外し」にかかわる議論などは二義的なものでしかないだろう。なぜなら安楽死とはそもそも、呼吸器外しの是非といった操作的医療の観点からみるものでなく、人が死をどう受け入れるかという人間存在の根元にかかわるテーマであるからだ。
▼医、法、倫理
いまモルヒネ安楽死ということをいったけれども、今日いうところの終末期医療、緩和医療、およびホスピス医療なるもののすべては、医師をはじめとする他者が死に臨んだ患者をどう扱うかという「モルヒネ投与の思想」を土台に組み立てられている。
そこで安楽死を考えた場合畠に問題が生ずるのは、モルヒネをいつ、どのように、どの程度「投与」するか、という技術的判断を迫られるときだ。
そのことをめぐって医師と患者、患者と家族、さらに医師と家族などのあいだで意見の交換や調整をおこなわなければならない。そのうえ、そのやりとりのなかにいやおうなく、医療と法律の関係や医療倫理の規定や慣行が介入してくる。
立場を異にする関係者のあいだでは、意見の違いが生ずる場合もあるだろう。患者の病状や家族の心理における動揺や変化も考慮に入れなければならない。その処置が法に触れるかどうかの判断も迫られる。
さらに困難をきわめるのが、患者自身の意見をどうみきわめるかという問題である。リビングウイルとか自己決定といわれているものだ。
こうしてモルヒネ安楽死を実現するためには、気の遠くなるようなハードルをのりこえていかなければならない。
その間、患者の心の内面で進行する苦しみと悲しみ、そして怒りを誰がどのようにケアするのか、そのための時間的余裕をいったい誰が担保するというのか。
▼「生きる態度」
このように考えてくるとき、もう一つの断食安楽死の場合には、モルヒネ安楽死にともなう数々の障害物がほとんど存在しないことに気づく。医療の現場から発する人間的な葛藤(かっとう)が、その網の目にからめとられるわずらわしさから免れていることがわかる。
いってみればモルヒネ安楽死は、他者(医師)の手によって調合された薬物を体内に注入してもらうことによって、安楽な死を迎えようとする「方法」である。これにたいして断食安楽死の方は、薬物を含めて一切の栄養物の受容を患者本人が全面的に辞退して、安楽な死につこうとする「生きる態度」である。
もっとも、この断食安楽死がつねに安楽な死への接近を約束しているとはかぎらないだろう。場合によっては、思いもかけぬ身体的苦痛に襲われることがあるかもしれない。しかしこの方法で最後を迎えようとするとき、患者は医師や家族たちの利害の外にあって、自己の内心をみつめようとしている。
そしてそれこそがまさに自己決定の証しというものではないか。リビングウイルの具体化といってもいい。ひそかに、潔く、自分の人生をしめくくろうとする意志がそこには立ちあらわれているからである。
もっともこんな提案は、この甘え切った社会には、少々無理な注文と思わないわけではないのだが…。(宗教学者)(静新5月13日朝刊「現論」)

三澤幸男さん

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三澤幸男さん(沼津商工会議所専務理事)
沼津市企画調整局長、教育委員会事務局参事監などを歴任した後、四月一日付で沼津.商工会議所専務理事に就任した。行政で培った経験を生かし、地域経済への貢献を目指す。六十歳。
ー就任の感想を聞かせてください。
「職責の重さややりがいを通じ、自分がさらに成長できるチャンスを与えてもらったと感じています。これまでに視点でさまざまな事業に取り組んでいきたい」
ー地域経済の現状をどう見ていますか。
「景気は確実に上向いていますが、依然厳しい業種もあり、原油高などの不安材料も多い。商議所としては中小企業の足腰を強くする施策を展開しなければなりません」
ー技能五輪国際大会へのかかわりも大きなテーマになります。
「地域活性化への起爆剤となる大会です。ものづくりの大切さを見直す機会となるよう、市と連携してPRを強化していく考えです」
◇ 特技は腹話術。時間をつくっては、子供会や老人会などで被露する。
(静新5月5日「この人」)
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