沼津 山幸人(沼津広報19年10月1日号)
沼津の山の幸を与えてくれる山田寿太郎さん(81歳)。
寿太郎さん? どこかで聞き覚えが…。
そう、あの「寿太郎みかん」の生みの親、その人です。
「農業は身体が資本。自分自身が元気でないと、みかんも元気に育たないのはもちろん、食べる人たちにも元気を与えられないからね。」と、軽快な足どりで急斜面を登り、みかんを世話する寿太郎さん。
終戦後すぐに、みかん農家を継ぎ、青島みかんの栽培に精を出していた寿太郎さんは、昭和50年に突然変異したみかんを発見しました。それが現在の小ぶりで、糖度が極めて高い「寿太郎みかん」の始まりです。
最近では、ジャムや缶詰、ワインなども販売されており、「最近は、"はいから"なものが出てきてるねえ。」と、寿太郎さん。
「自分の山、自分の手で、たっぷり愛情を込めて作ったみかんは、可愛くてしかたがないよ。しかも、名前も一緒だから格別だよ。そんなみかんをみんなに大きな声で"おいしい"と言って食べて欲しいね。」と、元気な笑顔で話してくれました。
沼津の山の幸を与えてくれる山田寿太郎さん(81歳)。
寿太郎さん? どこかで聞き覚えが…。
そう、あの「寿太郎みかん」の生みの親、その人です。
「農業は身体が資本。自分自身が元気でないと、みかんも元気に育たないのはもちろん、食べる人たちにも元気を与えられないからね。」と、軽快な足どりで急斜面を登り、みかんを世話する寿太郎さん。
終戦後すぐに、みかん農家を継ぎ、青島みかんの栽培に精を出していた寿太郎さんは、昭和50年に突然変異したみかんを発見しました。それが現在の小ぶりで、糖度が極めて高い「寿太郎みかん」の始まりです。
最近では、ジャムや缶詰、ワインなども販売されており、「最近は、"はいから"なものが出てきてるねえ。」と、寿太郎さん。
「自分の山、自分の手で、たっぷり愛情を込めて作ったみかんは、可愛くてしかたがないよ。しかも、名前も一緒だから格別だよ。そんなみかんをみんなに大きな声で"おいしい"と言って食べて欲しいね。」と、元気な笑顔で話してくれました。