2007年09月

安倍首相辞意を表明

安倍首相 辞意を表明

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安倍総理大臣は、午後2時から総理大臣官邸で記者会見し、「本日、総理大臣の職を辞するべきと決意した」と述べました。
9月12日 14時6分 NHK

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田原総一郎の「安倍首相辞任の舞台裏」
立花隆「安倍首相電撃辞任の真相」

台風9号の置きみやげ

今回も台風の置き土産・狩野川沿いや海岸にごみの山(沼朝平成19年9月11日号)
台風9号が去った八日朝、狩野川や我入道などの海岸には今回も、台風が襲来するたびに見られる、うれしくない「置き土産」がもたらされた。
その後始末のため、狩野川では御成橋上流から永代橋間両岸の清掃作業が、業者やボランティア団体によって行われた。
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右岸の魚町の川に面した複数の住宅では、建物内の駐車場に溜まった泥や枯れ枝などをポンプ車で放水して片付ける姿が見られた。
また、市から委託された業者が、道路と川を隔てる柵に引っ掛かった枯れ枝を外し、道路に堆積した泥をパワーショベルで除去。作業員は「水位が高かったためか、今回はゴミの掛かり具合がいつもと違う」と話した。
海岸も軒並み、ごみの山。我入道海岸では地元の有志が熊手などを使い、漂着した流木や枯れた枝、アシなどを集めた山が河口から牛臥山にかけていくつも築かれた=写真・上。
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作業していた男性は「いつもと異なり風の向きが違ったのか、ペットボトルなどのビニール系のゴミや空き缶類は少ない」と話した。
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来年四月の供用が予定されている仮称「我入道公園」の大山巌邸跡地前の小浜にも大量の流木、枯れ枝、枯れアシが流れ着いたが、片付ける人の姿は見られなかった。
供用開始後も出水のたびに同様の事態が考えられるため、管理が課題となりそうだ。
また、牛臥から御用邸にかけての海岸には四隻のプレジャーボートが打ち上げられ、一隻は大きく傾き、三隻は何もなかったように砂浜に鎮座=写真・中。千本浜海岸にも多くのごみが漂着した"写真・下。

沼津夜間救急医療センター移転案内

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沼津夜間救急医療センター移転案内。
平成19年12月1日
移転場所 沼津市日の出町
サンウエルぬまづ1F

台風9号沼津の被害

「のろのろ台風9号県内に爪跡」(静新平成19年9月7日夕刊)

県内を暴風域に巻き込んだ台風9号は、六日夜から七日未明にかけて各地に住宅や道路の損壊、浸水などの被害をもたらした。北上に伴い、天気は徐々に回復したが、七日午前は東海道新幹線や在来線、東名高速など主要交通網が混乱。朝の通勤客のほか、物流にも影響した。被害を受けた住民は倒木やごみの片付け、道路の復旧作業などに追われた。
七日朝、県東部地区を中心に大きな被害が次々に明らかになった。三島市など二市二町に接する沼津市の大平地区は、辺り一面が水浸しに。水の引きも悪く、「片づけをしたくてもできない」と、ひざ下まで水につかりながら途方にくれる住民の姿も。同地区は床下浸水四十七棟、床上浸水六棟の被害があり、住民四人が地元の公民館に自主避難した。
狩野川につながる大平江川沿いの特別養護老人ホーム「和みの郷」周辺は、大人の腰ほどの高さまで水があふれた。施設は基礎を高くしているために浸水被害は免れたが、出勤してきた職員は離れた場所に車を置き、ゴムボートで入るなどしたという。七日はデイサービスなどを中止にした。
同地区は平成十六年十月の台風22号でも家屋十八軒が浸水する被害が発「生した。今回、自宅が床下浸水した渡辺博司さん(四六)は「三年前の台風の時よりも被害が大きい。これほど水がつかったのは何十年ぶりではないか」と話した。
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台風9号で沼津市内各所に被害「狩野川台風以来の増水」の声も(沼朝平成19年9月8日(土)号)
道路冠水、床上下浸水・我入道漁港では漁船転覆
台風9号の接近・通過で市内は暴風域に入り、六日午後から七日未明にかけて激しい風雨に見舞われ、南消防署で六日午後八時、最大瞬間風速三六・八?を観測。雨量が多かった戸田地区では六日一日で三八五?、大平地区では二九五?を記録し、一時間あたりの雨量では、大平地区で観測された午後五時から六時までの三八・五?が最高だった。このため、狩野川の水位が「氾濫注意水位」を超え、大岡木瀬川地区では避難勧告が発令された。
六日午後六時半ごろには、下香貫地区で一階屋根に上って作業をしていた三十五歳の男性が転落し、後頭部から出血して病院に運ばれたが軽傷。市内では、このほかにけが人の報告はなかった。
また同じ時刻ごろ、御幸町の木造二階建てのアパートでは、風にあおられた屋根の半面がはがれ飛び、住民四世帯四人が、勤労青少年ホーム隣の香陵地区センターに自主避難した。被害に遭ったアパートの大家、山田政代さんは、「何かが爆発したようなすごい音がして、アパートの屋根が隣の駐車場や道路に飛ばされていた。地元自治会の皆さんが協力して屋根を片付けてくれたので助かった。屋根が飛ばされて、部屋の中はあっという間に水浸し
になり一階まで浸水した」と話していた。
このほかに、住宅や倉庫など五棟で半壊や一部損壊があった。
道路冠水は十四カ所で発生し、片浜中北側、大平九区、大平江川橋付近、中原、松長、西島町、志下、青野、下香貫大久保、島郷、県道富士清水線(旧国道一号)の平町付近など。県道沼津土肥線の大瀬-戸田間、県道原木沼津線の大平-函南町日守間、東名高速道路の上り線と下り線など十四カ所が通行止めとなった。
家屋への浸水は、大平地区で九棟、木瀬川で七十二棟、下石田で上棟が床上浸水、大平地区の六十一棟、大岡地区で二棟、西島町で二棟、吉田町で一棟が床下浸水し、大平地区の一世帯四人が同地区センターに避難した。
西浦久料、木負、立保や、中原、志下など二千三十四戸で停電、上香貫九十九洞外原や西浦江梨、新中川土手で崖崩れが発生した。
木瀬川地区では、百七十世帯の五百人に対して六日午後七時十五分に避難勧告が出され、三十五世帯の八十六人が木瀬川公民館や大岡南小体育館、八幡神社に避難した。
天城の山間部では五日午前八時から七日午前八時までの四十八時間に六〇〇?から八〇〇?、御殿場地区では五日午後一時から七日午前十時までの四十五時間に平均七〇〇?の降雨量を記録。この影響で下流の狩野川が増水し、市内に被害をもたらした。
御成橋下流右岸で、店舗裏手を狩野川が流れる青果の福島屋と陶器のいせうでは、大正時代などに建てられた川岸の倉庫が浸水。
福島屋の阪東英雄さん(81)は「狩野川台風の時よりも四、五〇?上まで来た。今までは御成橋の橋脚の上にゴミが引っ掛かることはなかった」と橋脚を指差しながら話した。
いせうの須磨満さんは「この倉庫に水が入ったのは初めて。狩野川台風より五〇?程度高い」。
また、さんさん通りから狩野川に下りる道には増水量の多さを示す枯れ枝などが帯状に。この道路脇の住宅に住む年配女性は、「狩野川台風の時と同じか、少し低いかな」と水位について話した。
一九五八(昭和三十三)年九月二十六日に襲来した台風22号(狩野川台風)では天城湯ケ島で二十五日に五四・六ミリ、二十六日に六八九・七ミリ、二日間の総雨量七四四・三ミリを記録している。
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一方、河口の我入道地区では小型漁船四隻が転覆浸水。転覆した「勇基丸」の船主・後藤勇吉さん(82)は「手の付けようがない。おそらくエンジンもダメだろうし、漁具も使えないだろう。廃業するしかない」と話した。
船の様子を見に来た遊漁船「土手下丸」の船長・後藤房雪さん(65)は「狩野川台風の時に比べれば水位は少し低い」と話し、平常時は排水路から川に流れる雨水が堤防の住宅側に溢れ、一時は七〇?程になり消防団が一晩中ポンプアップして川に排出した様子を振り返った。
一方、港大橋付近に係留されているプレジャーボートなどは河川敷に残ったり、船同士が重なり合ったり、船底を見せるものも。また、牛臥から御用邸にかけての海岸には四隻のプレジャーボートなどが打ち上げられた。
狩野川支流の黄瀬川で長泉町本宿に設置されたテレメータ水位によると、六日正午に一・五八?だった水位は七日午前一時に最高位の五・五七?と約四?上昇。
本流の狩野川黒瀬橋下流では、六日正午に一・七四?だった水位は黄瀬川同様、七日午前一時に最高位の六・一一?となり、四・三七?上昇した。
狩野川放水路は六日午後零時四十分に開放し七日午後一時四十分に閉鎖。
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新道路が逆効果

岡宮地区 肝いり新道路が逆効果?「想定外の渋滞で対応が課題に」
開通当初より緩和したが・周辺道路に影響が拡散

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都市計画道路沼津南一色線(沼津市大手町-長泉町南一色)と三枚橋岡宮線(学園通り)の一部暫定供用が始まったが、八月三十一日午後一時の開通直後から渋滞が発生するとともに市道路建設課で苦情の電話が鳴り始めた。渋滞解消を図るための道路建設が、逆効果を招くという皮肉な現象となり、市当局などの予測の甘さに非難の声が上がっている。
交通渋滞が増したのは、学園通り、主要地方道三島富士線(根方街道)、県道足高三枚橋線が交差する宮下交差点。東海道新幹線の高架橋脚も絡み複雑な道路形態となっている。
渋滞が顕著な道路は東名インターチェンジ方面から東高の西を走って同交差点に出る足高三枚橋線。新たな道路供用によって、この路線の東進信号待ち時間が増大したため、ひどい時には車両が東高付近まで約七〇〇?連なるようになった。
また、国道二四六号方面からの車両が沼津インターチェンジ南交差点で、ぐるめ街道をまたいで西進、宮下交差点を経由して、さらに南側の国道一号共栄町交差点に至り、ここを右折する車両が多いため、宮下交差点と共栄町交差点間が以前にも増して渋滞するように。
開通当日、東高から宮下交差点を経由して共栄町交差点まで四十分掛かった車も。センターラインの移動、車線幅の変更、停止線の移動、時差信号など多くの改良点が指摘される中、市道路建設課では「それらの点も検討課題」と話す。
宮下交差点近くに住む男性によれば、四年程前、地元選出の市議から根方街道東進車が同交差点で右折できなくなると聞き、「生活者にとっては重大事」と、三枚橋岡宮線道路改良事業対策委員会が立ち上がった、という。
岡宮地区七町内から、それぞれ二人の委員が選出され、地元選出県議、市議を顧問に道路のあるべき姿を話し合い、渋滞緩和のための道路拡幅案なども出たが、日の目を見なかった。
一方、学園通りの同交差点北方面への延長は、「沼津の北の背骨となる道路」と市から協力を求められたというが、新幹線北側に住む人々が南下する生活道路の検討はされなかったのか疑問が残る。
東高南側に住む男性は「検討はされただろうが、この地区は逃げ場がない。市当局も住民も、このような事態を招くとは想像もしなかったのではないか。開通当初に比べれば緩和したが、通勤時間帯は特に混む」と同交差点回避を話す。開通直後の学園通りは、北進する車両が市立高前辺りから渋滞し出した。
前出の男性は「宮下交差点が渋滞したら、通過車両は次から他の道路に変えればいいが、我々住民にとっては死活問題」だと憤る。また、市の説明では「南進車は同交差点で根方街道への右折はできない」としたはずが朝令暮改。実際は、車両は右折できる状況となっている。
市道路建設課の植田米夫課長は「渋滞は予想を超えた」と、暫定供用の交通量予測の難しさに理解を求め、渋滞解消策については「県や警察などと協議し、一日も早く渋滞緩和に努めたい」と話す。
沼津南一色線と学園通りが宮下交差点北約五〇〇?で立体交差となり道路勾配が大きくなったことから、自転車通学のグループの一人は、「坂がきつくなって大変」と、新道路開通による影響を指摘。
影響は路線バスにも。沼津駅ー学園通りー宮下交差点ー県道足高三枚橋線ー沼津ゴルフ場の「沼津ゴルフ場線」路線バスを運行している富士急シティバスでは、休み明けの二日から影響が出始めたという。
沼津ゴルフ場を午前七時十二分の始発は、宮下バス停に同二十五分、沼津駅南口に同四十分着で運行していたが、新道開通によって宮下バス停到着が三十分遅れとなり、沼津駅到着も通勤時間帯に巻き込まれ四十五分前後遅れるように。また影響は、この路線ばかりではない。バスは沼津ゴルフ場線を運行し終えて他の路線に回ることから、他の路線にも発
着時刻の遅れが生じ、同社では利用者離れが起きることを心配する。
さらに、鉄工団地方面から金岡小に通う児童が利用するスクールバス、東高、暁秀中・高のスクールバスにも影響が出ていることから、足高三枚橋線を回避し、他の路線に移ることも検討課題に。
供用開始から六日目の五日、渋滞は開通当初ほどではなくなった。通過車両の運転者がこの交差点を避けるなどしていることによるところが大きいが、そのために東高の南側を東西に走る道路の交通量は増加。同校では交通安全指導を強化している。また、暁秀中・高では朝の通学時間帯に教諭が宮下交差点に出向き、自転車通学生徒への安全指導を行っている。(沼朝平成19年9月6日号)
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