砂川事件米公文書
(静新平成20年4月30日(水)朝刊)
「米軍違憲」に圧力 米大使、露骨な介入
米軍の旧立川基地の拡張計画に絡む「砂川事件」をめぐり、一九五九年三月に出された「米軍駐留は憲法違反」との東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日米大使(当時、以下同)が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な介入を行っていたことが二十九日、機密指定を解除された米公文書から分かった。
「米軍駐留違憲判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、同年十二月十六日に一審判決を破棄、差し戻す判決を下した。
公文書は日米関係史を長年研究する専門家の新原昭治(にいはら・しょうじ)氏が今月、米国立公文書館で発見した。
「伊達判決」が出た翌日に当たる五九年三月三十一日付のマッカーサー大使の国務省あて公電によると、大使は藤山外相と同日会談し、「日本政府が判決を正すために迅速な行動を取る重要性」を強調。東京高裁に控訴するのではなく、地裁から即座に最高裁に上告する手続きである跳躍上告をすべきだと訴えた。
高裁を経由すれば判決破棄までに時間がかかると主張した大使に対し、外相は賛意を表明。同日の閣議で跳躍上告を提案する意向を示した。
同年四月二十四日付の大使の国務省あて公電は、上告審の裁判長を務めた田中耕太郎・最高裁長官が大使と接触した事実を明記。長官は「非公式なやりとり」の中で、本件を「優先的」に扱うとの見解を表明した。
大使は連合国軍総司令部(GHQ)で最高司令官を務めたマッカーサー氏のおいに当たる。(共同)
「まさか」という思い砂川事件の上告審で被告弁護団の事務局長を務めた内藤功弁護士の話
当時はサンフランシスコ講和条約の発効後で、日本は独立国家だった。米側の取った動きは?内政干渉の疑いがある?司法の独立に対する侵犯に当たるーという二重の意味での干渉行為だ。外務省のみならず、最高裁長官までが米側と早く手続きを進める話までしており、「まさか」という思いだ。米側は最高検が行う反論の資料も提供していた。最高検は当時「在日米軍は台湾海峡には行っていない」と主張していたが、国務省の公電からは(日本に駐留する)第五空軍の部隊などが台湾や沖縄に展開していたことが判明した。最高検はこうした点を法廷で正確に弁論していなかったことが分かった。(共同)
【砂川事件と伊達判決】
1957年7月8日、東京調達局が東京都砂川町(現・立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り禁止の柵を壊して基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪でデモ隊のうち7人が起訴された事件。東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。これに対し、検察側は最高裁に跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、他国による安全保障も禁じていない。安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決(伊達判決)を破棄し、差し戻した。後に有罪確定。(共同)
(静新平成20年4月30日(水)朝刊)
「米軍違憲」に圧力 米大使、露骨な介入
米軍の旧立川基地の拡張計画に絡む「砂川事件」をめぐり、一九五九年三月に出された「米軍駐留は憲法違反」との東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日米大使(当時、以下同)が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な介入を行っていたことが二十九日、機密指定を解除された米公文書から分かった。
「米軍駐留違憲判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、同年十二月十六日に一審判決を破棄、差し戻す判決を下した。
公文書は日米関係史を長年研究する専門家の新原昭治(にいはら・しょうじ)氏が今月、米国立公文書館で発見した。
「伊達判決」が出た翌日に当たる五九年三月三十一日付のマッカーサー大使の国務省あて公電によると、大使は藤山外相と同日会談し、「日本政府が判決を正すために迅速な行動を取る重要性」を強調。東京高裁に控訴するのではなく、地裁から即座に最高裁に上告する手続きである跳躍上告をすべきだと訴えた。
高裁を経由すれば判決破棄までに時間がかかると主張した大使に対し、外相は賛意を表明。同日の閣議で跳躍上告を提案する意向を示した。
同年四月二十四日付の大使の国務省あて公電は、上告審の裁判長を務めた田中耕太郎・最高裁長官が大使と接触した事実を明記。長官は「非公式なやりとり」の中で、本件を「優先的」に扱うとの見解を表明した。
大使は連合国軍総司令部(GHQ)で最高司令官を務めたマッカーサー氏のおいに当たる。(共同)
「まさか」という思い砂川事件の上告審で被告弁護団の事務局長を務めた内藤功弁護士の話
当時はサンフランシスコ講和条約の発効後で、日本は独立国家だった。米側の取った動きは?内政干渉の疑いがある?司法の独立に対する侵犯に当たるーという二重の意味での干渉行為だ。外務省のみならず、最高裁長官までが米側と早く手続きを進める話までしており、「まさか」という思いだ。米側は最高検が行う反論の資料も提供していた。最高検は当時「在日米軍は台湾海峡には行っていない」と主張していたが、国務省の公電からは(日本に駐留する)第五空軍の部隊などが台湾や沖縄に展開していたことが判明した。最高検はこうした点を法廷で正確に弁論していなかったことが分かった。(共同)
【砂川事件と伊達判決】
1957年7月8日、東京調達局が東京都砂川町(現・立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り禁止の柵を壊して基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪でデモ隊のうち7人が起訴された事件。東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。これに対し、検察側は最高裁に跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、他国による安全保障も禁じていない。安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決(伊達判決)を破棄し、差し戻した。後に有罪確定。(共同)