10月25日「最後のお願い動画」
2008年10月
市長選を振り返る(沼朝平成20年10月29日(水)号)
組織づくり奏功の栗原氏
他との違い示せなかった櫻田氏
善戦した近藤氏
伸び悩んだ加藤氏
新しい市長が決まった。栗原裕康氏。斎藤衛市長の任期は十一月九日まで、新市長の任期は十日に始まる。斎藤市長が初めて市長職に就いたのと同じ五十九歳。激戦を闘い抜いて獲得した市長の椅子だが、息つく暇もなく山積する課題に立ち向かわなければならない。かつて県議、衆院議員として政治の世界にいたとは言うものの、今度は議員の立場とは異なり、常に住民、有権者の隣にいて、その判断、決断、実行力が住民に直接、大きく影響する、最も基本的な行政単位である市のトップに就く。その責任は極めて重い。
今回選挙を振り返ると、結果的には、最も組織的な態勢を組むことができた栗原氏の陣営が他陣営を圧倒したということになろう。しかし、選挙に臨もうとしたころには、そこまでの形が構築できるとは本人も思い描いていなかったかもしれない。
代議士でなくなってから八年、最後の選挙からでも五年。一旦は政治の世界から離れ、新仲見世でまぐろ丼の店を商っていた。しかし、斎藤市長の引退、新人の立候補表明や候補擁立の動きがあわただしくなる中、栗原氏についても市長選への出馬が取り沙汰されるようになったのを受け、七月、栗原氏に取材し、心境を聞いた。そこには政治の世界への断ちがたい思いが感じて取れた。
「五年近く一杯何百円かの商売をしていて、また、そういう店を利用するお客さんを見ていて、沼津の厳しい状況を感じた。自分なら、どうするか。市民に聞いてもらいたかった」
出馬を勧める人がある一方、周囲に打診すると「今さら」といった反応が返ってきた。「自分は意外に人気がないんだ」。弱気ものぞかせた。「五年間、選挙をやっていな
いし、「栗原会」と言っても、当時のような形はない。(選挙を)やるんだったら草の根」。覚悟を決めての出馬だった。
出馬表明した時の記者会見。まさに市井の人という出で立ち。ラフと言えばラフ、開き直りともとれるノーネクタイで臨んだが、後で「(写真を撮るのに報道陣に)怒られちゃったよ」と一言。
もちろん当選を目指すには孤軍奮闘というわけにはいかない。市議の中から、栗原氏とのこれまでのつながりから駆け付ける議員、かつてのような形の組織はなくとも、県会、衆院の選挙を通じて、さらには栗原氏の父親で、参院議員、衆院議員を務め、当時の労働大臣、防衛庁長官も経験した祐幸氏の時代にさかのぼって「栗原」と書いた有権者もいるだけに、それをたどりながら支援の輪を広げた。
市議で栗原陣営に名前を連ねたのは、現有三十三議員(定員三十四だが市長選に立候補した加藤元章氏が辞職したため)のうちの半数近く。公明党(四人)は今回、どこの陣営にもつかない立場を取っていたので、実質、過半数の市議が栗原陣営についた。
そのうちの一人で、祐幸氏の秘書を務めたことがある滝口文昭市議は今回選を振り返り、「市議の皆さんが、よく動いてくれた。地図を開いては、その日に回る地域を確認出陣式は、他の三候補を寄せ付けない人数の参加者を集めた。
ただ前回選で斎藤陣営が、現職であり今回の栗原陣営以上の規模の選対を持ちながら二位得票数との差が千八百票しかなかっただけに、大型選対の弱みである「他人任せ」「上滑り」に陣営も警戒を強めた。二万三千九百八十三票という得票数は、選対規模からしてもっと取れるはずのものだったのか、あるいは陣営引き締めが奏功したと言えるものなのか。
一方、前回に続いて返り咲きを目指した櫻田光雄氏。四候補の中では最も遅い出馬表明となり、告示まで一カ月半という中で後援会活動から選挙本番に臨んだ。
前回選では、鉄道高架見直しを掲げ、「市民の意思に委ねる」ことを訴え、高架反対派の票を取り込みながら現職に肉薄。今回は事業認可が下りるなど高架をめぐる状況の変化を指摘しながら、「中止という選択肢はない。ただ高架は推進するが、既定の方針を強引に推し進めるのではなく、反対地権者にも配慮して対応し、状況に応じての計画見直しも考える」主張をしたが、その他の政策については、いずれの候補者も同様の政策を掲げる中で際立った相違を有権者に理解してもらえず、抜け出すことができなかった。
これに加え、かつての市長在職中、敬老祝い金を廃止したことを今も指摘する高齢者がいて少なからぬ影響のあったことも否定できない。
この点については、櫻田氏自身、告示直前に開いた大集会や地域での集会でも触れ、謝罪するとともに、理解を求めるのに必死の訴えを行った。政策通であることは間違いなく、在職中には数々のアイデアと実行力で沼津市を牽引したが、有権者の中に残る反発を払拭することはできなかった。
この櫻田氏の得票二万四百八十票に迫り善戦したのが近藤泰平氏の一万九千九十七票。出馬表明時期も櫻田氏より一週間程早かっただけで、それほど変わらず、この得票数に意外性をもって受け止める向きもあるが、市民団体による公募という、これまでになかった候補者選びの形が取られ、その意味では「出したい候補」「出てもらいたい候補」で、有権者の共感を呼んだ。
また候補の中で唯一、鉄道高架反対を掲げ、他の候補との違いを明確にし、高架反対の有権者の取り込みを図った。約二万票という得票数は投票総数の四分の一、二五%が鉄道高架反対の候補者に賛意を示したことになり、高架反対が決して「一部の市民によるもの」ではないことをうかがわせる無視できない数字となった。
真面目で、周囲に嫌悪感を与えない、柔和な雰囲気を持つ近藤氏。選挙終盤には訴える内容、力も充実した、との評価もあり、早くも四年後を口にする支援者もいる。
加藤元章氏の一万六千三百四十一票も、近藤氏とは違った意味で「意外だった」と見る向きがある。「意外に伸びなかった」と。
四人の中で最も早く出馬の意思を明らかにしたが、その時点では斎藤市長の引退は公然の秘密とはなっていたものの本人からの正式な発表はなく、加藤氏の出馬表明に不快感を示す市議もいた。
市長与党の議員有志で組織するグループによる候補者探しでも加藤氏が推されることはなく、同グループの動きが事実上、終息した時点では、加藤氏が所属した市議会会派が行動を共にした。
加藤氏の運動は若い世代を中心に展開。加藤氏自身も若さ=行動力であることを訴え、若者の票はもちろん、若さに期待する有権者の取り込みを目指し、「これからは若い人に任せたい」という声や、他陣営からは「加藤陣営の動きが分からない。不気味だ」といった指摘もあった。
しかし、若さはまた経験不足と裏腹で「両刃の剣」の危うさも併せ持ち、また組織のない加藤陣営にとっては浮動票狙いの嫌いは否めず、四七・四%と投票率が低調だったこともあり、伸び悩んだ。
組織づくり奏功の栗原氏
他との違い示せなかった櫻田氏
善戦した近藤氏
伸び悩んだ加藤氏
新しい市長が決まった。栗原裕康氏。斎藤衛市長の任期は十一月九日まで、新市長の任期は十日に始まる。斎藤市長が初めて市長職に就いたのと同じ五十九歳。激戦を闘い抜いて獲得した市長の椅子だが、息つく暇もなく山積する課題に立ち向かわなければならない。かつて県議、衆院議員として政治の世界にいたとは言うものの、今度は議員の立場とは異なり、常に住民、有権者の隣にいて、その判断、決断、実行力が住民に直接、大きく影響する、最も基本的な行政単位である市のトップに就く。その責任は極めて重い。
今回選挙を振り返ると、結果的には、最も組織的な態勢を組むことができた栗原氏の陣営が他陣営を圧倒したということになろう。しかし、選挙に臨もうとしたころには、そこまでの形が構築できるとは本人も思い描いていなかったかもしれない。
代議士でなくなってから八年、最後の選挙からでも五年。一旦は政治の世界から離れ、新仲見世でまぐろ丼の店を商っていた。しかし、斎藤市長の引退、新人の立候補表明や候補擁立の動きがあわただしくなる中、栗原氏についても市長選への出馬が取り沙汰されるようになったのを受け、七月、栗原氏に取材し、心境を聞いた。そこには政治の世界への断ちがたい思いが感じて取れた。
「五年近く一杯何百円かの商売をしていて、また、そういう店を利用するお客さんを見ていて、沼津の厳しい状況を感じた。自分なら、どうするか。市民に聞いてもらいたかった」
出馬を勧める人がある一方、周囲に打診すると「今さら」といった反応が返ってきた。「自分は意外に人気がないんだ」。弱気ものぞかせた。「五年間、選挙をやっていな
いし、「栗原会」と言っても、当時のような形はない。(選挙を)やるんだったら草の根」。覚悟を決めての出馬だった。
出馬表明した時の記者会見。まさに市井の人という出で立ち。ラフと言えばラフ、開き直りともとれるノーネクタイで臨んだが、後で「(写真を撮るのに報道陣に)怒られちゃったよ」と一言。
もちろん当選を目指すには孤軍奮闘というわけにはいかない。市議の中から、栗原氏とのこれまでのつながりから駆け付ける議員、かつてのような形の組織はなくとも、県会、衆院の選挙を通じて、さらには栗原氏の父親で、参院議員、衆院議員を務め、当時の労働大臣、防衛庁長官も経験した祐幸氏の時代にさかのぼって「栗原」と書いた有権者もいるだけに、それをたどりながら支援の輪を広げた。
市議で栗原陣営に名前を連ねたのは、現有三十三議員(定員三十四だが市長選に立候補した加藤元章氏が辞職したため)のうちの半数近く。公明党(四人)は今回、どこの陣営にもつかない立場を取っていたので、実質、過半数の市議が栗原陣営についた。
そのうちの一人で、祐幸氏の秘書を務めたことがある滝口文昭市議は今回選を振り返り、「市議の皆さんが、よく動いてくれた。地図を開いては、その日に回る地域を確認出陣式は、他の三候補を寄せ付けない人数の参加者を集めた。
ただ前回選で斎藤陣営が、現職であり今回の栗原陣営以上の規模の選対を持ちながら二位得票数との差が千八百票しかなかっただけに、大型選対の弱みである「他人任せ」「上滑り」に陣営も警戒を強めた。二万三千九百八十三票という得票数は、選対規模からしてもっと取れるはずのものだったのか、あるいは陣営引き締めが奏功したと言えるものなのか。
一方、前回に続いて返り咲きを目指した櫻田光雄氏。四候補の中では最も遅い出馬表明となり、告示まで一カ月半という中で後援会活動から選挙本番に臨んだ。
前回選では、鉄道高架見直しを掲げ、「市民の意思に委ねる」ことを訴え、高架反対派の票を取り込みながら現職に肉薄。今回は事業認可が下りるなど高架をめぐる状況の変化を指摘しながら、「中止という選択肢はない。ただ高架は推進するが、既定の方針を強引に推し進めるのではなく、反対地権者にも配慮して対応し、状況に応じての計画見直しも考える」主張をしたが、その他の政策については、いずれの候補者も同様の政策を掲げる中で際立った相違を有権者に理解してもらえず、抜け出すことができなかった。
これに加え、かつての市長在職中、敬老祝い金を廃止したことを今も指摘する高齢者がいて少なからぬ影響のあったことも否定できない。
この点については、櫻田氏自身、告示直前に開いた大集会や地域での集会でも触れ、謝罪するとともに、理解を求めるのに必死の訴えを行った。政策通であることは間違いなく、在職中には数々のアイデアと実行力で沼津市を牽引したが、有権者の中に残る反発を払拭することはできなかった。
この櫻田氏の得票二万四百八十票に迫り善戦したのが近藤泰平氏の一万九千九十七票。出馬表明時期も櫻田氏より一週間程早かっただけで、それほど変わらず、この得票数に意外性をもって受け止める向きもあるが、市民団体による公募という、これまでになかった候補者選びの形が取られ、その意味では「出したい候補」「出てもらいたい候補」で、有権者の共感を呼んだ。
また候補の中で唯一、鉄道高架反対を掲げ、他の候補との違いを明確にし、高架反対の有権者の取り込みを図った。約二万票という得票数は投票総数の四分の一、二五%が鉄道高架反対の候補者に賛意を示したことになり、高架反対が決して「一部の市民によるもの」ではないことをうかがわせる無視できない数字となった。
真面目で、周囲に嫌悪感を与えない、柔和な雰囲気を持つ近藤氏。選挙終盤には訴える内容、力も充実した、との評価もあり、早くも四年後を口にする支援者もいる。
加藤元章氏の一万六千三百四十一票も、近藤氏とは違った意味で「意外だった」と見る向きがある。「意外に伸びなかった」と。
四人の中で最も早く出馬の意思を明らかにしたが、その時点では斎藤市長の引退は公然の秘密とはなっていたものの本人からの正式な発表はなく、加藤氏の出馬表明に不快感を示す市議もいた。
市長与党の議員有志で組織するグループによる候補者探しでも加藤氏が推されることはなく、同グループの動きが事実上、終息した時点では、加藤氏が所属した市議会会派が行動を共にした。
加藤氏の運動は若い世代を中心に展開。加藤氏自身も若さ=行動力であることを訴え、若者の票はもちろん、若さに期待する有権者の取り込みを目指し、「これからは若い人に任せたい」という声や、他陣営からは「加藤陣営の動きが分からない。不気味だ」といった指摘もあった。
しかし、若さはまた経験不足と裏腹で「両刃の剣」の危うさも併せ持ち、また組織のない加藤陣営にとっては浮動票狙いの嫌いは否めず、四七・四%と投票率が低調だったこともあり、伸び悩んだ。
沼津市長選・市議補選(静新平成20年10月27日夕刊)
沼津市長選 栗原氏に当選証書
市政かじ取り気引き締め
沼津市長選で当選した栗原裕康氏(五九)、同市議補選を制した高橋達也氏(四一)に対する当選証書付与式が二十七日午前、市役所で行われた。
同市選挙管理委員会の小川良昭委員長は「県議、国会議員としての経験を踏まえ、識見を持って市政のかじ取りに当たってほしい」と激励し、栗原氏に当選証書を手渡した。
深夜まで祝福を受け、「三時間しか寝ていない」という栗原氏は、当選から一夜明け、疲れもみせず晴れ晴れとした表情。「財政を含め市役所の中をよく見直したい。緊張感を持って取り組む」と気持ちを引き締めた。
沼津市長選開票結果
当 23,983栗原裕康 59 無新
20,480桜田光雄 63 無元
19,097近藤泰平 48 無新
16,341加藤元章 44 無新
▽投票者総数80,846▽有効79,901▽無効943
高橋氏37票差接戦を制す
沼津市議補選確定
沼津市長選に合わせて二十六日投開票された市議補選(欠員一)は二十七日午前零時十五分、最終得票が確定し、無所属新人で学習塾塾長の高橋達也氏(四一)が次点と三十七票差で競り勝った。候補三人がいずれも二万四千九百票台の接戦だった。
沼津市の新市議
高橋達也41無新?
ヒトスギ塾塾長 下石田自治会
長元静岡銀行勤務大岡
沼津市議補選開票結果(欠員?-3)
当 24,974高橋達也 41 無新
24,937清水賢嗣 52 無新
24,909川口三男 64 共元
沼津市長選 栗原氏に当選証書
市政かじ取り気引き締め
沼津市長選で当選した栗原裕康氏(五九)、同市議補選を制した高橋達也氏(四一)に対する当選証書付与式が二十七日午前、市役所で行われた。
同市選挙管理委員会の小川良昭委員長は「県議、国会議員としての経験を踏まえ、識見を持って市政のかじ取りに当たってほしい」と激励し、栗原氏に当選証書を手渡した。
深夜まで祝福を受け、「三時間しか寝ていない」という栗原氏は、当選から一夜明け、疲れもみせず晴れ晴れとした表情。「財政を含め市役所の中をよく見直したい。緊張感を持って取り組む」と気持ちを引き締めた。
沼津市長選開票結果
当 23,983栗原裕康 59 無新
20,480桜田光雄 63 無元
19,097近藤泰平 48 無新
16,341加藤元章 44 無新
▽投票者総数80,846▽有効79,901▽無効943
高橋氏37票差接戦を制す
沼津市議補選確定
沼津市長選に合わせて二十六日投開票された市議補選(欠員一)は二十七日午前零時十五分、最終得票が確定し、無所属新人で学習塾塾長の高橋達也氏(四一)が次点と三十七票差で競り勝った。候補三人がいずれも二万四千九百票台の接戦だった。
沼津市の新市議
高橋達也41無新?
ヒトスギ塾塾長 下石田自治会
長元静岡銀行勤務大岡
沼津市議補選開票結果(欠員?-3)
当 24,974高橋達也 41 無新
24,937清水賢嗣 52 無新
24,909川口三男 64 共元
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