2009年01月

強盗殺人:33歳男性刺され死亡、財布奪われる 沼津

奪われたリュックを発見 沼津の強盗殺人事件

 静岡県沼津市の路上で31日未明、居酒屋店員沼田太さん(33)が殺害された事件で、同日午前、沼田さんのリュックサックが現場近くに捨てられているのが見つかり、捜査本部は犯人が沼田さんを襲って奪った後、逃走中に捨てたとみて目撃情報などを調べている。

 調べでは、リュックサックは遺体の発見現場から約500メートル離れた店舗の駐車場に止めたトラックの荷台に置かれているのを、この店の店員が発見。荷台にはほかにカードなどが捨てられていたが、現金は見つかっていないという。

 また沼田さんが襲われたとみられる午前0時35分ごろ、近くに住む女性(35)が屋外で「ドスン」という不審な物音を聞いたとの情報があり、捜査本部が事件との関連を調べている。

2009/01/31 18:05 【共同通信】

路上で刺され 33歳男性死亡 沼津
2009年1月31日東京新聞 夕刊

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 三十一日午前零時三十五分ごろ、静岡県沼津市白銀町の市道で、男性が血を流して倒れているのを通行人が見つけ、近くの新聞販売店を通じて沼津署に届け出た。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。腹などを刺され、所持品のリュックサックなどがなくなっていたことから、県警捜査一課は強盗殺人事件とみて、同署に捜査本部を設置した。
 調べでは、男性は沼津市西間門、居酒屋アルバイト沼田太さん(33)。胸や腹、背中など数カ所を刃物で刺されていた。
 同僚らによると、沼田さんは三十日夜、「用事がある」と言って、勤務先の市内の店を三十分早退し、午前零時前に店を出た。

 発見現場は、勤務先と約一・八キロ離れた自宅のほぼ中間で、捜査本部は歩いて帰る途中に何者かに襲われたとみて、店を出た後の足取りを調べている。遺体の状況などから襲われたのは発見の直前の可能性が高いという。
 現場からは、沼田さんの免許証や携帯電話は見つかったが、財布は確認されていない。

路上に血流した男性 胸や腹刺され死亡 沼津2009年1月31日11時15分
(アサヒコム)
 31日午前0時40分ごろ、静岡県沼津市白銀町の路上で「人が倒れている」と、近くの男性(55)から沼津署に通報があった。同署員が駆けつけたところ、血を流した男性が倒れており、病院に運ばれたが間もなく死亡した。持っていたとされるリュックサックがないことから、県警は強盗殺人事件とみて同署に捜査本部を設置した。

 捜査本部によると、男性は沼津市西間門、飲食店店員沼田太さん(33)。腹部や胸、背中に刃物による刺し傷が複数あった。沼田さんは同日午前0時ごろ、働いていた飲食店を出たのが確認されており、帰宅途中だったとみられるという。

 現場はJR沼津駅から南西約600メートルの住宅街で、幹線道路から1本入ったわき道。


強盗殺人:33歳男性刺され死亡、財布奪われる 沼津 
(毎日新聞)
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沼津市白銀町の路上で、男性が血を流して倒れているのを通行人が見つけ、連絡を受けた新聞販売店の男性店員(55)が県警沼津署に通報した。男性は脇腹や胸など数カ所を刃物で刺されていて、搬送先の病院で死亡が確認された。財布が奪われており、県警は同署に捜査本部を設置、強盗殺人容疑で捜査を始めた。

 捜査本部によると、男性は同市西間門、飲食店アルバイト店員、沼田太さん(33)。現場に携帯電話や運転免許証などが残されていたが、財布やリュックサックがなくなっていた。同日午前0時ごろ、JR沼津駅前の居酒屋で勤務を終え、帰宅途中に襲われたらしい。

 現場は沼津駅から南西へ約700メートルの住宅街で、夜間は人通りが少ない。【田口雅士、山田毅】


静岡・沼津で飲食店員刺され死亡…強盗殺人で捜査本部
 31日午前0時40分頃、静岡県沼津市白銀町の市道で、同市西間門、飲食店店員沼田太さん(33)が胸から血を流して倒れているのを、通りかかった男性が見つけた。
 沼田さんは胸や背中など数か所を刃物で刺されており、搬送先の病院で死亡が確認された。
 沼田さんの財布などが入ったリュックサックがなくなっており、静岡県警は強盗殺人事件と断定、沼津署に捜査本部を設置した。
 発表によると、沼田さんは31日午前0時前、JR沼津駅近くにある勤務先の居酒屋を出て、歩いて自宅に向かった。この時、同僚の従業員が沼田さんがリュックを持って出たのを見ている。

 沼田さんが倒れていたのは店から約600メートルで、住宅や商店が立ち並んでいる。

(2009年1月31日10時34分 読売新聞)


わら束に放火容疑・沼津連続不審火関与か

「沼津の連続放火事件『追跡』」
 真っ暗神社に不審な男
 刑事の勘逮捕導く

 沼津市北西部や清水町などで相次ぐ連続放火事件は沼津署の若手刑事の意地と"いぶし銀"のような捜査勘が、色本健一容疑者(二八)=同町八幡、非現住建造物等放火容疑で送検=の逮捕につながった。
 刑事第一課の宮島潤巡査部長(三三)と伊藤大介巡査(二八)は二十七日午後六時ごろ、以前に放火が二件発生していた沼津市中沢田の神社近くで不審な男を発見した。肩掛けバッグに無線機を入れた色本容疑者だった。
 真っ暗なのに、なぜ神社へー。「誰の目からも挙動不審だった」(伊藤巡査)という色本容疑者に声を掛けた。「火事の警戒」との答えに、「火事という言葉を出してないのに(同容疑者は)火事と言った。動きで七割だった確信が100%になった。頭の回転が速まるのを感じながら冷静に聴いた」(宮島巡査部長)。
 沼津署管内では平成十九年十一月から、不審火とみられる火災が発生。連続放火犯を三人逮捕したがそれでも収まらなかった。特に今年は清水町で相次ぎ、同署は警戒を強化。一方で二人は今月二十七日、「清水町に意識が集中しているが、中沢田はノーマークでいいのか」と自主的に神社周辺へ出向いた。
 捜査対象者がしぼり込まれていない場合、「体制を組むよりも、(時間に余裕がある時などに)ふらっと行った時の方が意外と捕まえることができる」と宮島巡査部長。ナンバーを監視できる車と違い、自転車で移動していたとみられる色本容疑者のケースがまさにそうだった。
 宮島巡査部長は「放火が続くとやりたい仕事ができなくなってしまう」と打ち明ける。だが、色本容疑者の取り調べはまだ始まったばかり。一事で万事が終わったかのような声には違和感を覚える。「連続放火事件がすべて解決したとは思っていない」と、気を引き締めた。
(静新平成21年1月30日(金)「追跡」)



わら束に放火容疑・沼津連続不審火関与か
 清水町の男を逮捕
 沼津市の北西部を中心に相次いでいる不審火を捜査していた沼津署は二十七日、非現住建造物等放火の疑いで清水町の男を逮捕した。同町や函南町などで発生している一連の不審火にも関与している疑いが強いとみて、余罪を追及している。
 逮捕されたのは清水町八幡一六四ノ六、無職色本健一容疑者(二八)。
 沼津署の調べでは、色本容疑者は一月十三日午後六時半ごろ、沼津市中沢田の農機具小屋で、軒下に積んであったわら束に火を付け、同小屋約十三平方?を全焼させた疑い。今月二十七日、同市中沢田で自転車に乗っていた色本容疑者を張り込み中の同署員が職務質問したところ、」犯行を認めたという。
 同市北西部では平成十九年からわら束を焼く不審火とみられる火災が相次ぎ、昨年末からは函南町や清水町などでも不審火が起きていた。
(静新平成21年1月28日(水)朝刊))
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放火数十件以上か
沼津署逮捕容疑者の男「うっぷん晴らし」
 沼津市北西部や清水町などで相次いでいる連続放火事件で、農機具小屋に火を付けたとして非現住建造物等放火の疑いで逮捕された清水町八幡、無職色本健一容疑者(二八)が二十八日までの沼津署の調べに対し、「日ごろのうっぷんを晴らすためにやった」と供述していることが分かった。同署は色本容疑者による犯行が数十件に上る可能性もあるとみて、裏付け捜査を進めている。
 沼津署の調べでは、色本容疑者は犯行の移動手段として自転車を使用していたとみられる。同署には火災現場周辺で自転車に乗る不審人物の目撃情報が寄せられていたほか、二十七日夜に沼津市中沢田で張り込み中の同署員が色本容疑者に職務質問した際にも自転車に乗っていた。ライターや消防無線を受信できる無線機も携帯していた。
 沼津市内では昨年、不審火とみられる火災が七十件発生。また昨年十一月末からは函南町、今年に入ってからは伊豆の国市や清水町でもわら束や倉庫などを焼く火災が相次ぎ、同署や三島署が警戒を強めていた。
 色本容疑者は一月十三日午後六時半ごろ、沼津市中沢田の農機具小屋で軒下に積んであったわら束に火を付け、同小屋約十三平方?を全焼させた疑い。
(静新平成21年1月28日夕刊)

「放火後に無線を傍受」
 沼津の小屋全焼・容疑者が小型機所持
 沼津市北西部などで相次いでいる連続放火事件で、農機具小屋を全焼させたとして非現住建造物等放火の疑いで逮捕された清水町八幡、無職色本健一容疑者(二八)が沼津署の調べに対し、「火を付けた後に消防無線を聞くのが好きだった」などと供述していることが二十八日、分かった。
 沼津署は無線を傍受することでストレス解消を図っていたとみて、動機をさらに追及している。
 同署の調べでは、色本容疑者が所持していた無線機は小型のタイプ。バッグの中に入れていた。同容疑者は職務質問を受けた際、「火災の警戒に当たっている」と釈明。その後、一度は黙秘に転じたが、任意同行後の取り調べで容疑を認めたという。
 色本容疑者は一月十三日午後六時半ごろ、沼津市甲沢田の農機具小屋で軒下に積んであったわら束に火を付け、同小屋約十三平方?を全焼させた疑い。
 同署は二十九日、色本容疑者を非現住建造物等放火の容疑で静岡地検沼津支部に送致する。
(静新平成21年1月29日(木)朝刊)

大丸浜松出店を断念

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大丸、浜松出店を断念 消費低迷で見直し
01/27 07:51 (静新webnews)
 大手百貨店「大丸」を運営しているJ・フロントリテイリングと大丸は26日の取締役会で浜松市中心街の旧百貨店「松菱」跡地(同市中区鍛冶町)などに計画していた大丸浜松店出店断念を決議した、と同日発表した。営業面積約3万4000平方メートルの県内最大級の店舗で2011年秋のオープンを目指していたが、地権者との調整が進まない上、急激な景気後退に伴う消費市場の冷え込みを受けて投資計画を全面的に再検討した結果、出店断念に至ったという。
 中心市街地の再生を模索する同市にとって、期待を掛けていた誘致だけに大きな痛手。仕切り直しに行政も中心商業地も再び課題を背負うことになった。
 出店計画では「松菱」の土地など約6800平方メートルに150億円を投資し、地下4階、地上9階建ての店舗を建設する予定だった。当初は開発会社「アサヒコーポレーション」(浜松市)が地権者交渉などを担ってきたが、地権者との調整が難航し大手建設会社「大林組」(東京)に事業の進展を委ねた。同社は昨年末から反対地権者との交渉に着手したばかりだった。
 J・フロントリテイリングの奥田務社長兼最高経営責任者は昨年10月の中間決算発表時には、出店に向けた強い意向を示していた。しかし、同社の10―12月の売り上げが前年同期比で2けた減となるなど業績が悪化、「今後も経営環境はさらに厳しさを増すことが予想されるため、投資計画を全面的に見直す」(同社)として、新規出店をあきらめる経営判断をした。
 
突然で驚いている 鈴木康友浜松市長の話
 突然のことで驚いている。このような経済状況下なので、企業の経営判断として決定されたと思う。中心市街地の活性化は重要課題なので、今後も引き続き努力していく。
 
「大丸」浜松進出をめぐる動き
 2001年11月 百貨店「松菱」が経営破たん
 02年6月 松菱跡再生協議会を設立
 03年12月 松菱跡再生事業提案競技(コンペ)で「アサヒコーポレーション」(アサヒ社)を開発施行者に決定
 04年9月 松菱の債権債務処理、所有権の移転完了
 05年3月 松菱跡再生協議会が解散
 06年6月 松菱跡に百貨店「大丸」浮上
 7月 大丸、出店年内合意の見通しが示される
 07年3月 大丸、アサヒ社、浜松市が10年11月開店を目標にした確認書に調印
 7月 大丸出店、基本合意発表
 9月 大丸と松坂屋ホールディングスが共同持ち株会社「J・フロントリテイリング」を設立
 08年3月 J・フロントリテイリングが浜松に現地事務所を開設
 4月 出店時期が1年遅れ11年秋にずれこむ見通しとJ・フロントリテイリングが見解示す
 9月 大丸がアサヒ社との基本協定を白紙に。地権者交渉は大手建設会社「大林組」が引き継ぐ
 09年1月26日 J・フロントリテイリングが浜松への出店断念を発表

「大丸断念・浜松市街地再生どこへ」上
 活性化"切り札"失う
 松菱破綻から8年市民の署名実らず
 浜松布中心市街地の活性化策の切り札として期待されていた大手百貨店「大丸」の浜松進出計画が撤回された二十六日、関係者の間には衝撃が走った。かつて、浜松の街の活気を象徴する存在だった旧松菱の破たんから八年を経て、再開発問題は再び振り出しに。歯止めのかからない市街地の地盤沈下に加え、「百年に一度」とされる経済危機に伴う景気低迷という最悪のタイミング。中心部の商業者には"トリプル・ショック"の大打撃になった。
 浜松商店界連盟の御園井宏昌会長(八〇)は「まさかあの大丸が『断念する』なんて。予想だにしなかった」と、がっくりと肩を落とす。昨年十月から市民約一万二千七百人の署名を集め、大丸に早期出店を要請したばかり。
「(署名を受けて)大丸幹部は『ピンチの時こそチャンス』と言ってくれたのに」。家業の自転車店を先代から受け継いで約六十年。ずっと商いを続ける愛着ある街は「今が一番の不景気だ」と人通りがめっきり減った通りを見やった。
 大型店、小規模店を問わずに中心街の商業者で構成する浜松まちなか商業者委員会の石井義勝会長は「(出店断念を)『残念』の一言で語るのはあまりに軽すぎる。皆の期待を大きく背負った構想。ものすごく深刻な問題だ」と受け止める。
 大丸誘致が前提の市街地再生は政令指定都市に生まれ変わった浜松市にとって最重要課題の一つだった。浜松商工会議所
の御室健一郎会頭は「甚だ残念。将来展望は描きづらいが松菱跡地は市にとってランドマーク的位置付け。何とか次の選択肢が早期に示されることを望む」とコメントした。
 一方、二年前に大丸が出店の基本合意をした後も、地元経済界には出店の実現に懐疑的な見方もあった。かねて問題の長期化に懸念を表明していた鈴木修スズキ会長兼社長は「全市民が全力で歓迎する状況でなかったということ。街のど真ん中に"お化け屋敷"があり続けるのは(地域の課題解決能力に欠ける)今の浜松の象徴」と語った。
二十六日夜、市内のホテルで開かれた市議会のある会派の勉強会に出席。「浜松の行く末が心配だ」との市議のあいさつを受けて鈴木会長は「これだけ時間がかかった上、市民が冷や水をぶっかけられたのは逆に(現実を直視する)いいチャンス。議会も、市も、市民も、考え直さないといけない」と奮起を促した。

「このご時世では…」市民落胆、あきらめ
 大丸が浜松市中区の旧松菱跡への出店を断念した二十六日、市民からは落胆の声とともに、跡地の一刻も早い活用を求める意見が相次いだ。
 同区の鍛冶町通りでは地元の三十歳代の夫婦が「やっぱりという感じ。期待していたが、このご時世では無理でしょ」とあきらめ顔。同市南区の水嶋恭子さん(二四)は「跡地は百貨店以外も視野に入れて活用してほしい」と注文した。中心市街地の空洞化を「時代の流れ」という自営業山崎勲さん(五八)=同区=は「仮に大丸が出店しても集客できないだろう」とみる。
 市中心街の商店主らも複雑な思い。千歳町で日本料理店を営む田中均尚さん(五二)は「景気回復の起爆剤として期待していたのに」と残念そう。「行政がもっと積極的に介入を」と語気を強めた。有楽街の薬局副店長鈴木学さん(三四)は「郊外に大型店が進出するたびに影響が出る。跡地を早く何とかしないと中心街は大変なことになる」と危機感を抱いている。
(静新平成21年1月27日「大丸断念上」)


「大丸断念中」
 解約条項の不備問題
 デパート誘致に限界感
 「フォルテは売却数カ月で遠鉄百貨店の増床ビルになると決まった。なぜ松菱は八年もかかって先が見えないんだ」。
 浜松市中心街の旧松菱跡への百貨店大丸の進出構想が消えた二十六日、市内のある商業者は怒気を込めた口調で浜松駅前再開発ビル「フォルテ」と、旧松菱跡地の事業展開のスピード差を挙げた。「全く条件は違うが、同じ駅前の一等地。あまりに遅すぎる」。両ビルは南北にわずか百?しか離れていない。
 開発業者アサヒコーポレーション(浜松市)に松菱跡地が売却されたのは二〇〇四年九月。雑貨専門店ロフトを誘致するアサヒ社の案がコンペで選ばれた。当時の松菱跡地再生協議会の関係者は「街のためにーを合言葉に松菱の債権者だった金融機関がまとまってくれた」と述懐する。だが、間もなくロフト案は立ち消えになった。
 当時を振り返り、同市行財政改革推進審議会委員の秋山雅弘アルモニコス社長は「ビジネスでは当たり前なリスク回避策がなく、市はデパート誘致に盲目的に走った」と苦言を呈す。前提が覆った時や事業の遅延に対する解約条項を売却契約に付随させなかったのを「ミスだった」と指摘する地元経済人は多い。
 時間経過に伴いリスクは増し、リーマン・ショックを迎えた。山本良一大丸社長は同市を訪れた二十七日、本紙の取材に「地権者の調整(の不調)が直接の断念の理由ではない。経済環境の激変です」と明言した。県内百貨店幹部は「われわれは装置産業。店舗整備は膨大な金と時間が要る。今は体力が落ち、どこも投資を控えている」と語る。愛媛の今治大丸や横浜松坂屋を閉じたJ・フロントリテイリングに限らず、業界は岐路にある。
 旧松菱に婦人服店を出していた藤田礼子ベルモード会長(浜松市)は「街の"へそ"であり、顔。素晴らしい場所なのに」と廃虚の松菱ビルを見るたび、やるせなくなる。現在静岡、愛知両県に計八店舗を持つが、今の浜松駅前は店を出したい場所がない。
 別の商業者が「"幕引き"まで大丸に泥をかぶってもらった格好で浜松はふがいない」と語る一方、藤田さんは「断念が決まって、古い形のデパートを、というのはこれでおしまい。今の時代にふさわしい次を考えなきゃ」と前向きにとらえようとしている。
(静新平成21年1月28日「大丸断念・中」)


「大丸断念・下」
 行政の関与に限界・意思統一で計画見直し・交錯した再生への願い
 「いろんな感情、しこりがある中、市がどんな関与ができるのか教えてほしい」。二十八日の浜松市定例記者会見。大丸問題への市の対応を問う質問に鈴木康友市長が一瞬、気色ばんだ。
 大丸と地元開発業者アサヒコーポレーションの出店協定が撤回され、地権者間の調整が難航している事態が表面化した昨秋。市に仲介役を期待する地元の声が高まっても、市は「中立の第三者」を貫き、周辺の環境整備に徹した。
 上限五億円の出店補助、規制緩和の特区指定…。浜松駅西側へのビックカメラの進出など市の厚遇制度を活用するケースはあったが、中心市街地活性化の核だったはずの大丸出店はついえた。それでも同市の水谷浩三商工部長は「今後も市が関与しないことに変わりない。今もカギを握っているのは最大地権者のディベロッパー、アサヒ社だ」と話す。
 大丸誘致で一気呵成(かせい)に市街地再生の絵を描く市の狙いがアサヒ社に伝わっていたのか。
 同社の竹内良社長は松菱跡について「専門店や都市型のサービスを提供する商業施設にしたい」と期すが、駅前で手掛ける別の再生事業、旧イトーヨーカドー駅前店のオープンの方が優先課題と言い切る。「(大丸のような)全国的な企業と違って地元企業はここで生きるしかない。松菱の土地は売らず、再生させることが自分たちの存在意義。何度だめになっても挑戦する」と語る。
 一方、大丸問題に消極的な市に対し、中心部の各商店街では商業者が将来構想を自ら模索したり、隣接商店街と共同事業に乗り出す新しい動きも出てきている。
 中心街北部のゆりの木通りの三商店会は昨夏から合同のイメージアップ事業を立ち上げた。事務局の鈴木基生さん(五八)は「商店街の持つポテンシャルが変わる訳ではない」と考えている。別の商店街の古老は「切羽詰まっている中、個々が必死になってきた。こうして自ら立ち上がることが大事だ」とみる。
 鈴木市長は会見で行政の関与に限界があることを強調し、「関係者のみなさんが意思統一を図らないと同じてつを踏む」と厳しい意見を吐いた。大丸進出を前提に国に提示した市中心市街地活性化基本計画は修正せざるを得ない。政令市の「顔」づくりは行政、業者、市民それぞれの意思を統一し、一から見直すことを迫られている。
(浜松総局・木村文陽、杉山渉、河村雅彦が担当しました)
(静新平成21年1月29日「大丸断念下」)

金融恐慌という妖怪の本質

「金融恐慌という妖怪の本質」
 山折哲雄 【やまおり・てつお氏 1931年米サンフランシスコ生まれ。東北大大学院博士課程単位取得退学。著書に「さまよえる日本宗教」「日本文明とは何か」など。「愛欲の精神史」で2001年度和辻哲郎文化賞・一般部門を受賞。元国際日本文化研究センター所長。】

「無常」から明るい旋律も
 金融恐慌、通貨危機、百年に一度の大暴風…。いささか大げさな言葉が、ちまたにあふれ出している。ほとんど異口同音の波に乗って、それが聞こえてくる。
 けれども、どうだろう。その「金融恐慌」という名の妖怪の本質は、ただ一つの言葉"景気循環"という経済用語で片が付くのではないか。景気が循環するという、何の変哲もない話である。
 経済は好調のときもあれば、暗転するときもある。十年、五十年に一度の変動であろうと、百年に一度の暴風であろうと、ことの本質に変わりはない。
 バブルの現象も、過熱すれば、やがてはじけるときが必ずやってくる。景気は、ニセ天国的な上昇気流に乗ることもあれば、たちまち地の底に墜落もする。照る日、曇る日である。そんな現象をひっくるめて、景気循環と称してきたのではないか。
 とすれば、この景気循環という経済用語を、分かりやすい人間的な言葉に翻訳すると、さしずめ"無常"ということになるであろう。あの諸行無常の無常である。この世に常なるものは何一つ存在しない、という意味だ。持続可能な永遠など、単なる虚妄のたわ言にすぎないーそういう認識である。
 ▼死と再生
 だが同時に、ここで慌てて付け加えなければならないことがある。この無常の認識からは、実は明るい旋律も聞こえてくるのである。とかく世の中は、人間の運命であれ、山川草木のような自然であれ、変化と蘇生(そせい)を繰り返して循環を止めないということだ。死と再生のリズムである。
 われわれの人生も、社会のあり方も、浮沈を繰り返しつつ、この循環の軌道に乗っている。何も慌てることはない、いたずらに騒ぐ事なかれ、そんな天の声も聞こえてくる。
 それなのになぜ、この世界的な金融経済不安の状況を、先に述べた景気循環というキーワードで一挙に説明しょうとしないのか。無常という宗教言語の力を借りて、潔く片を付けようとしないのか。
 こんな言い分は、前後の脈絡を考えない横やりのように思われるかもしれない。だが、そこには、それなりの確かな理由が横たわっていると、私は思っている。
 そもそも無常には、三つの考えが含まれている。この世に永遠なるものは、何一つ存在しない。形あるものは、必ず壊れる。人は生きて、やがて死ぬ。以上の三原則だ。
 これを否定することは、誰もできないだろう。よほどのひねくれ者でない限り、まずは疑うことのできない客観的な事実であると言っていい。
 ▼二つの選択肢
しかし困難な問題が、まさにそこから発生することも認めなければならない。なぜなら、客観的な事実をそれとして認めるにしても、それを自己の血肉として受容しようとしない文明が歴史的に存在してきたし、現に存在しているからだ。
 それが、ユダヤ・キリスト教文明であり、アングロサクソンによって形成された西欧社会である。この人生の無常という原則に対し、この文明は拒否的な態度をとり続けてきた点で一貫していたと思う。
 なぜなら、この文明にとっては、危機を乗り越えるための生き残り戦略こそが最大の関心事だったのであり、それに対し、無常というアジア的なエートス(精神)ほど、退嬰(たいえい)的で虚無的な思想はないと映ったからであろう。
 さらに息苦しいことには、このわれわれ日本の社会までが、アングロサクソン流生き残り戦略の傘の下に、すっぽり包み込まれてしまっている。そしてこれまで、その戦略に加担することに、われわれは夢中になり過ぎていたのではないか。
 この先、光明は見えてくるのか…。いずれにせよ、われわれの前方には二つの選択肢が見えている。一つは、不安と危機感をあおり立てる短期的な経済予測に、依然として翻弄(ほんろう)され続けるか。もう一つは、景気循環=無常の原則に立って長期的な展望を持ち、この事態に冷静に対処するよう努力していくか。
 経済への視点とは、直面している緊急の問題に対処すること以上に、われわれ自身のエートスにかかわる大きなテーマでもあるはずだ、と指摘しておきたい。(宗教学者)
(静新平成21年1月24日「現論」)

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