銀幕のしずおか 斉藤隆 随想記
ヒッチコック来静
静岡は東京と名古屋の中間に位置することから、多くの映画人が来静している。東京から関西方面への映画キャンペーンではまず静岡から、名古屋、大阪へと進む。
昭和35年4月21日。"サスペンス映画の神様"と言われた世界的に有名な映画監督が静岡に来た。アルフレッド・ヒッチコック監督である。トリュフォー監督をはじめ世界中の映画監督から(今日でも)「映画技術の文法」とまで評価されている名作「サイコ」。この映画の公開に合わせて、映画配給会社が日本に招いた。配給会社の特別の計らいで、静岡停車中の短時間での会見となった。映画興行会社である静活の主立った面々ほか20人ほどが迎えた。
ヒッチコック監督は映画で見せる風ぼうそのままの姿で現れた。サインの求めにも気軽に応じてくれた。短い停車時間を心配する関係者をよそに、汽車から降りて握手するほどサービス精神旺(おう)盛。ちゃめっ気たっぷりに"サスペンス・サスペンス"と笑いを振りまきながら、車中の人となった。
特急「はと」の最後尾の展望台から、同行していた夫人と共にいつまでも手を振って歓迎に応えてくれた。ヒッチコックは昭和51年、第53作目となる「ファミリープロット」を遺作に昭和60年、82歳で生涯を閉じた。ヒッチコックから映画を学ぶ映画人は今も多い。
(元静活営業本部長)
(静新平成21年10月27日夕刊)
ヒッチコック来静
静岡は東京と名古屋の中間に位置することから、多くの映画人が来静している。東京から関西方面への映画キャンペーンではまず静岡から、名古屋、大阪へと進む。
昭和35年4月21日。"サスペンス映画の神様"と言われた世界的に有名な映画監督が静岡に来た。アルフレッド・ヒッチコック監督である。トリュフォー監督をはじめ世界中の映画監督から(今日でも)「映画技術の文法」とまで評価されている名作「サイコ」。この映画の公開に合わせて、映画配給会社が日本に招いた。配給会社の特別の計らいで、静岡停車中の短時間での会見となった。映画興行会社である静活の主立った面々ほか20人ほどが迎えた。
ヒッチコック監督は映画で見せる風ぼうそのままの姿で現れた。サインの求めにも気軽に応じてくれた。短い停車時間を心配する関係者をよそに、汽車から降りて握手するほどサービス精神旺(おう)盛。ちゃめっ気たっぷりに"サスペンス・サスペンス"と笑いを振りまきながら、車中の人となった。
特急「はと」の最後尾の展望台から、同行していた夫人と共にいつまでも手を振って歓迎に応えてくれた。ヒッチコックは昭和51年、第53作目となる「ファミリープロット」を遺作に昭和60年、82歳で生涯を閉じた。ヒッチコックから映画を学ぶ映画人は今も多い。
(元静活営業本部長)
(静新平成21年10月27日夕刊)