2010年08月

「興南高校の優勝」 安藤喜春

「興南高校の優勝」 安藤喜春

 第92回全国高校野球選手権大会は、興南高校が優勝し、沖縄に初めて深紅の大旗が渡った。同校は史上六校目となる春夏連覇という大偉業をも達成した。その戦いぶりは見事で、投攻守走ともそつなく、対戦校を終始圧倒していたと思う。

 それは、投げるとか、打つとか、守るとか、走るとかはもちろんだが、それ以前の、野球の本質である「相手の気持ちを考えて思いやる心」を、相手チーム以上に持っていたように思う。

 強打で大勝してもおごらない態度、相手に先行されても動じない強い心。それは日々の私生活から厳しく律せられた、人としての成長が基本にあり、さらにグラウンドにおいても、徹底的に身体を使い、基本プレーを反復練習し、ミスを最小限にするための努力、攻撃刀強化のためにバッティング投手に近くから投げさせての打撃練習に素振りの徹底、合羽を着ての練習など、甲子園球場で戦うための準備は、沖縄を出る前にすべてやったという我喜屋監督の勝つための信念と、それに応えて日々の練習を怠らずに努力した選手個々との信頼の強さ。それが野球の質を高め、強い、負けないチームとなり、勝利に結び付いたものと思う。

 「この優勝旗は興南だけじゃなく、沖縄県民が勝ち取ったものだ」と誇らしげに語った主将の言葉、それを成し遂げた我喜屋監督をはじめとした興南高校のナインに大きな拍手を送りたい。本当におめでとう。

 ところで、春夏制覇を成し遂げた我喜屋監督は、四十二年前に同校が準決勝に進出した時の主将で、翌年、同期の三人で大昭和製紙本社に入社した。そして昭和四十七年、沖縄本土復帰の年、私が監督をしていた北海道チーム(白老)に移り、「南から来た北の男」として都市対抗野球で活躍。後楽園球場では、彼がホームランを打つたびに一歩一歩勝ち上がり、四十九年には都市対抗野球全国大会で優勝、黒獅子旗獲得の五番打者として優勝に貢献した。

 当時の大昭和北海道の練習は厳しく、監督の私に対して「鬼の安藤」という陰口もあったが、「練習量では他に絶対負けない」と厳しく鍛えたため、プレーに自信を持って臨み、相手に絶対点を取らせないという強い信念で戦ったものだ。

 その後、大昭和野球部が休部となり、野球をあきらめた彼は沼津に戻り、お好み焼きの「とん吉」で働いていたが、再開した白老野球部で選手として、また指導者として活躍した。

 そして四年前、母校の興南高校の監督として迎えられることになった。かなり悩んでの沖縄行きだったと聞いている。しかし彼は奥さんと共に野球部の合宿所に寝泊まりし、夫妻で選手の私生活の面から徹底して律し、野球以前の人間形成に努めたようだ。

 監督になってすぐに甲子園にやって来たのにも驚いたが、今回の快挙には、ただただ教えられることが多かったし、これからの指導者にとっても学ぶべきことが多かったように思う。

 かつて、巨人軍がV9を達成した翌年、長島さんが新監督になったものの最下位に低迷していた時、札幌で食事を共にしたことがある。その折、長島さんに「どうしたら勝つことができますかね」と聞かれ、「基本練習から厳しく叩き直す必要がありますね」と答えたことがあったが、その年の伊東スタジアムでの巨人軍の秋季練習では、徹底した基本プレーをやっていた。

 今年の我喜屋監督の年賀状に、心身も新たに魂(気力)(知力)(総力)の精神で、さらなる飛躍を成し遂げ、大きな夢の実現に向かいます、と書かれてあった。

 夢を実現した沖縄興南高校の監督と選手に、改めてお祝いを申し上げます。

(元大昭和製紙野球部=富士、白老=監督、松長)

(沼朝平成228月27日号)

一中吹奏楽部が東海大会へ

100817-01
 

「一中吹奏楽部が東海大会へ」

県大会30人以内の編成で最優秀校に

 少人数、特別編成で

 超絶技巧の曲挑戦に評価

 一中(森雅宏校長)の吹奏楽部は、富士市文化会館ロゼシアターで開かれた県吹奏楽連盟主宰の第51回県吹奏楽コンクールの中学校B編成(三十人以内)に東部地区代表として演奏し、金賞を受賞。最優秀校として県知事賞が贈られ、二十八日に長野県伊那市で開かれる東海大会に出場する。

 一中吹奏楽部顧問を務める芹澤淳教諭は、原中や三中の吹奏楽部を指導し、これまでに顧問として九回、東海大会に出場しているが、一中に赴任した六年前、吹奏楽部の部員は三人で、「東海大会の出場は全く考えられなかった」。その後、部員を集めて赴任二年目の十八年度から同コンクールB編成に挑戦。

 十八年度は東部大会銀賞で県大会出場を逃したが、十九年度以降は毎年、東部大会で金賞を受賞し県大会の常連に。県大会でも金賞を受賞しているものの、これまで上位三校が選ばれる県代表には、あと一歩のところで及ばなかった。

 今年の部員は二十五人で、コンクールには三年生十四人をはじめ全員が出場。トランペットやトロンボーンなどの金管楽器がなく、フルート、クラリネット、サックス、コントラバス、打楽器で構成し、「実人数が少ないこともあって、この形式で数年間やってきた。人数が少なくても工夫すれば、上位を狙えることを示したかった」という特別編成。

 今回コンクールで演奏した曲は、ラヴェルの「ピアノ協奏曲卜長調」より第2楽章、第3楽章。

 芹澤教諭は「本来、吹奏楽で演奏する曲ではない超絶技巧の曲で、コンクールでも演奏されるのは初めてだと思う。一中の編成に合わせた編曲を依頼した」という。

 「大変な曲だけど演奏を楽しみ、楽しく聴いてもらい、ビックリするような演奏にしよう」と生徒を励まし練習を重ねた。

 県大会では、他の出場校とは違った珍しい曲を特別編成でこなす生徒達の演奏が高く評価されて最優秀校に選ばれ、東海大会にコマを進めた。

 芹澤教諭は、「昨年、一昨年よりも演奏がレベルアップし、曲や編成で仕掛け、これでだめだったら、もう東海大会は無理だと考えていた。部員数が少ない学校でも、やり方次第で高く評価されることを証明できて良かった」と言い、顧問として十回目となる東海大会出場に加え、「県知事賞受賞は初めて」と喜んでいる。

 高木彩部長は「一年生の時から東海大会に行くのは夢だったので、最後の年に行くことができてうれしい。曲は難しかったけれど、部員一丸となって楽しく練習ができた」と振り返り、「県大会では納得できない部分や失敗もあったので、東海大会ではミスのない完壁な演奏で、最優秀を狙いたい」と熱く語る。

 今回、同コンクール中学校県大会には、全部門を通じて市内からは一中が唯一の出場で、B編成の上位大会は東海大会まで。

(沼朝平成22817日号)

 

残暑見舞い

100810-05s
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