片岡一郎さん・内田祥一さん・勝間田容子さん・三上理恵さん
戦後復興に 夜空の大輪
戦後間もない1948年(昭和23年)、戦災に遭った沼津の街や商店街の復興を願って始まった「沼津夏まつり・狩野川花火大会」。まつりのおひざ元、上土(あげつち)商店街の一角にある創業約150年の金物屋店主の片岡一郎さん(78)=写真右=は、川面を鮮やかに照らす大輪の花火に、
「平和を感じたねえ。日本は復興したんだって子供心にうれしかった」と懐かしむ。戦争末期、焼夷(しょうい)弾で焼け野原になった街の姿は忘れられない。
戦後の娯楽が無かった当時、まつりと花火は毎年市民を沸き立たせた。商店街の関係者の中には、「学習院遊泳場が沼津にあった関係か、皇太子だった今の天皇陛下が狩野川を船に乗って見に来られた」と記憶する人もいる。
片岡さんは「街の再興とともに、中心街は周辺地域の物産が集まって活気があふれた。時代が変わってもまつりに多くの人が訪れ、商店街を歩いてくれるのはうれしい」と話す。
「まつりにお神輿(みこし)を持ってきたい」。あげつち商店街振興組合理事長の内田祥一さん(60)=同左から2人目=は約30年前、周辺商店街の若手と奔走し、夏まつりに神輿を登場させたことを思い起こす。「少しでもにぎわいを後押ししようと知恵を絞った」。まつりでは、地元商店前の路上を利用して、フリースローやバスケット、うなぎのつかみ取りなどを企画した思い出もある。
すれ違うのが困難なくらい混雑した以前に比べ、来場者は減ったように感じる。それでも、一年で一番多くの人々が集まるこの花火大会の熱気は格別だ。「この街に来たいと思ってもらえる魅力づくりが大切。世代を超えて商店街や街の将来を考えていく必要がある」と先を見据える。
商店街で生まれ育った勝間田容子さん(42)=同右から2人目=、三上理恵さん(33)姉妹は、「自宅の屋上から見る花火は最高。昔からたくさんのお客さんを迎える特別な日」と街なかで打ち上げられる花火の醍醐味(だいごみ)を語る。
中心街に元気がなくなってきたのは、肌で実感している。「そんな今だからこそ」。調理師免許を持つ容子さんが長年温めてきた夢をかなえ、9月上旬、母親が営んできたクリーニング店を閉じて2人でカフェをオープンする。
最近は商店街に新しく出店した店主のネットワークができ、雰囲気も変わりつつある。花火の時に限らない新たな人の波を呼び込むためにも、「若い力を生かしたい」と夢を膨らませる。
(静新平成24年7月26日「狩野川ひと物語:花火」)