2012年07月

戦後復興に 夜空の大輪

片岡一郎さん・内田祥一さん・勝間田容子さん・三上理恵さん

戦後復興に 夜空の大輪

 世代超え街の将来思う
201207260001
 

 戦後間もない1948(昭和23)、戦災に遭った沼津の街や商店街の復興を願って始まった「沼津夏まつり・狩野川花火大会」。まつりのおひざ元、上土(あげつち)商店街の一角にある創業約150年の金物屋店主の片岡一郎さん(78)=写真右=は、川面を鮮やかに照らす大輪の花火に、

 「平和を感じたねえ。日本は復興したんだって子供心にうれしかった」と懐かしむ。戦争末期、焼夷(しょうい)弾で焼け野原になった街の姿は忘れられない。

 戦後の娯楽が無かった当時、まつりと花火は毎年市民を沸き立たせた。商店街の関係者の中には、「学習院遊泳場が沼津にあった関係か、皇太子だった今の天皇陛下が狩野川を船に乗って見に来られた」と記憶する人もいる。

 片岡さんは「街の再興とともに、中心街は周辺地域の物産が集まって活気があふれた。時代が変わってもまつりに多くの人が訪れ、商店街を歩いてくれるのはうれしい」と話す。

 「まつりにお神輿(みこし)を持ってきたい」。あげつち商店街振興組合理事長の内田祥一さん(60)=同左から2人目=は約30年前、周辺商店街の若手と奔走し、夏まつりに神輿を登場させたことを思い起こす。「少しでもにぎわいを後押ししようと知恵を絞った」。まつりでは、地元商店前の路上を利用して、フリースローやバスケット、うなぎのつかみ取りなどを企画した思い出もある。

 すれ違うのが困難なくらい混雑した以前に比べ、来場者は減ったように感じる。それでも、一年で一番多くの人々が集まるこの花火大会の熱気は格別だ。「この街に来たいと思ってもらえる魅力づくりが大切。世代を超えて商店街や街の将来を考えていく必要がある」と先を見据える。

 商店街で生まれ育った勝間田容子さん(42)=同右から2人目=、三上理恵さん(33)姉妹は、「自宅の屋上から見る花火は最高。昔からたくさんのお客さんを迎える特別な日」と街なかで打ち上げられる花火の醍醐味(だいごみ)を語る。

 中心街に元気がなくなってきたのは、肌で実感している。「そんな今だからこそ」。調理師免許を持つ容子さんが長年温めてきた夢をかなえ、9月上旬、母親が営んできたクリーニング店を閉じて2人でカフェをオープンする。

 最近は商店街に新しく出店した店主のネットワークができ、雰囲気も変わりつつある。花火の時に限らない新たな人の波を呼び込むためにも、「若い力を生かしたい」と夢を膨らませる。

(静新平成24726日「狩野川ひと物語:花火」)

狩野川花火大会桟敷

私設桟敷が今朝から場所取りが始まった。
写真の方が一番ですよ。
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商都に衝撃 下

商都に衝撃 下  西武沼津店閉店

都市整備 回遊性、集客に懸念

 ""づくりが急務

 「いつかはこうなると思っていた」「沼津駅の南側はこれからどうなってしまうのか」ー。西武沼津店(沼津市大手町)の撤退が明らかになった627日、沼津仲見世商店街の男性店主と常連客の女性はため息交じりにつぶやき、「SEIBU」の青い大きな看板を見上げた。

 かつて「商都」の名を欲しいままにした沼津市中心街。その衰退は年々深刻さを増している。市の調査によると、駅南側を中心とした市街地の1日当たりの歩行者数は1991年の約156千人をピークに減少し続け、2011年度は41千人にまで落ち込んだ。

 こうした現状とは対照的に、駅周辺では県東部の拠点都市を標ぼうした再開発事業が着々と進む。駅北口では06年に都市型商業施設「BiVi沼津」が開館し、14年夏には東部コンベンションセンター「プラサヴェルデ」が全館オープンする。

 再開発事業と連動して行うはずだった鉄道高架事業は貨物駅移転先の地権者らの反対があり、先が見えない状態が続いている。ちぐはぐな都市機能整備とまちのシンボルの消滅により、沼津全体の回遊性や集客力の低下を懸念する市民は多い。特に駅南側に人を呼び込むには、西武沼津店に代わる新たな""づくりが求められる。

 同市のNPO法人駿河地域経営支援研究所の深沢公詞理事長は「もはや商業で人を呼べる時代ではない。中心市街地の再生とは何か根本的に見つめ直し、早急に行動に移さなければならない」と力を込める。

 西武沼津店の閉店は、経営陣が厳しい小売店業界の現実から目をそらさずにスクラップ・アンド・ビルドを断行した結果と言える。企業経営研究所(三島市)の中山勝常務理事は「まちづくりの計画も時代に合わせて常に修正していくべき。中心市街地にあらゆる都市機能を求めるのではなく、病院や文化施設など目的がはっきりした施設を置き、地域の役割にメリハリをつけることが大切」と指摘する。

 少子高齢化、定住人口の減少、商業施設の郊外進出ー。時代の波と対峙(たいじ)している沼津市は今、決断が求められている。

(東部総局・田辺貴一、豊竹喬が担当しました)

(静新平成2471

中心街根本的に見直せ

静岡新聞 社説<2012.7.1>

西武沼津店撤退 中心街根本的に見直せ
 

 沼津市のJR沼津駅前の西武沼津店が来年1月末で閉店する。運営会社のそごう・西武が決定を地元に伝えた。沼津のみならず、東部でも唯一の百貨店で、衝撃は商業関係者にとどまらず一般市民に広がっている。「商都・沼津」の沈滞を象徴する出来事だ。
 

 決定を受け、市は中心市街地の活性化と都市機能の再生、集積に向けた庁内委員会を緊急に立ち上げた。商工業者などでつくる市中心市街地活性化協議会も「まちづくり部会」(仮称),設置する方針を固めた。官民が連携し、中心街そのものの在り方を根本的に見直す機会とすべきだ。
 

 同店は1957年、西武が地方第1号店として出店した老舗。盛期には伊豆半島を含む広域から多くの集客があり、売上高は200億円を超えたが、2011年度は74億円とそごう・西武26店舗中、最下位だった。

 中高年層や贈答品など一定需要はあったが、若い世代の関心は低かった。駅前に立地する百貨店という業態自体が、沼津など地方都市に合わなくなったという見方もある。
 

 西武撤退のうわさは以前からあり、2年前には厳しい状況を説明するそごう・西武の山下国夫社長に、市長らが存続を説得した。業績が悪化する同店を中心市街地の中核にしたまま依存してきた行政や商業界は反省しなくてはならない。
 

 中心市街地の年間商品販売額は大幅な減少が続き、空き店舗率は4月時点で約10%と、この10年間でほぼ倍増した。昨年の歩行者通行量は00年の半分以下だ。付け焼き刃的に空き店舗を埋めても、効果は限られる。
 

 西武撤退で最も懸念されるのは中心街の空洞化の加速だ。跡地利用については、まちづくり全体の視点で考えるべきで、商業施設だけが選択肢ではない。中心部に人口を増やすためのマンションや文化施設なども視野に入れたらどうか。
 

 沼津駅北口には14年夏、県と市による東部コンベンションセンター「プラサ・ヴェルデ」が開業する。県東部の拠点施設にふさわしい駅周辺のにぎわいは各種催事の誘致に欠かせない。懸案の駅周辺の鉄道高架事業の先行きが不透明なままでは、西武跡地への進出意欲や誘致活動にもマイナスになる。
 

 沼津市では昨年、沼津東急ホテルが事業譲渡し、全国ブランドの撤退が続く。半世紀以上も親しまれていた百貨店の閉店に「来るべき時が来た」と受け止めた市民も多い。西武撤退を新たなスタートととらえ、市は中心街の立て直しを急いでほしい。

(静新平成2471日朝刊)

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