「本能寺」直前の書状発見
織田信長が明智光秀に討たれた1582年の「本能寺の変」の直前、四国の戦国武将・長宗我部元親が光秀の家臣で親戚関係にあった斎藤利三とやりとりした書状が見つかった。林原美術館(岡山市)と岡山県立博物館(同市)が23日、発表した。
書状で元親は四国侵攻を計画していた信長の命令に従う意向を示しており、同博物館の内池英樹主幹は「本能寺の変直前のやりとりが史料で初めて明らかになった。本能寺の変に影響を与えた可能性がある」と話している。
同美術館は、光秀にゆかりのある石谷家に関する古文書47点を所蔵。同博物館と共同調査したところ、元親と利三がやりとりした書状があった。
本能寺の変の約10日前に元親が利三に宛てた書状では、元親が信長との戦闘を回避するため、信長の命令に従う意思を示していた。信長はこの時期、元親の四国領有を容認する当初の方針を翻し、四国に侵攻する計画を進めていた。
(静新平成26年6月24日朝刊)