沼津の商業史を後世に
「ふるさと通信」に年譜掲載 長谷川徹さん(72)
戦後昭和の沼津の商業史を年譜にまとめ、懐かしの写真をちりばめながら、沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)の会報「沼津ふるさと通信」に2回に分けて発表した。
戦後昭和部分は「昭和20年8月中島飛行機三島製作所の木瀬川分工場、富士産業株式会社と改称」から始まり、「昭和63年10月桃中軒会館『エイプルコア』に名称変更」まで詳細を極める。
商店街の歴史には元々関心があったが、直接のきっかけは2013年1月の西武沼津店閉店。多くの沼津の人が悲しむ姿を目の当たりにした。「沼津の昭和の商業はここで完全に終わった。歴史をまとめて後世に伝えなければ、と思った」と説明する。
その西武沼津店。開店は1957年6月だが、直前の進出反対運動については地元紙「沼津朝日」の当時の記事を引用する形で多くのスペースを割いて記述した。「イトーヨーカドー進出の時も反対運動が起きたが、誰がどう反対したかを、個人名まで含めて書き残さないと、次の世代には分からなくなってしまう」と話す。
両親が始めた化粧品店を継ぎ、地元の沼津上本通り商店街振興組合理事長も務めた。周囲の商店街は、江戸時代から続く商店街▽東部随一の商店街ーなどの特徴があるが、上本通り商店街は比較的地味。そこで上本通り商店街の特徴として「日本で最初の洋式本格的小学校発祥の地」「映画館でにぎわった商店街」と位置づけ、小学校出身者を顕彰する講演会や展示会、沼津ちなみの映画の上映会も開いた。日本で最初の洋式小学校とは、幕臣が1868(明治元)年9月12日に開校させた沼津市立第一小学校の前身である「代戯館」のことだ。
沼津の商業は衰退が著しい。現在の商店街については「もう商店街とは言えない。単なる飲食店街」と厳しい見方。また沼津駅南口から映画館が姿を消したことには「映画館がなくなっても、例えばスーパー銭湯のような現代の娯楽健康施設が代わりにできてくれれば良かったのだが」と嘆く。
さらに沼津市郊外には来年秋に「ららぽーと」がオープン予定で現在工事中。「一商人としては絶対反対。落ち込んだ商店街の息を完全に止める施設となる」とみている。
【石川宏】
【毎日新聞静岡平成30年4月29日(日)「ひとしずおか」】