2018年04月

沼津の商業史を後世に

20180429nshougyousith from 徹 長谷川

2018年04月30日17時09分55秒0001k

沼津の商業史を後世に

 「ふるさと通信」に年譜掲載 長谷川徹さん(72)

 戦後昭和の沼津の商業史を年譜にまとめ、懐かしの写真をちりばめながら、沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)の会報「沼津ふるさと通信」に2回に分けて発表した。

 戦後昭和部分は「昭和208月中島飛行機三島製作所の木瀬川分工場、富士産業株式会社と改称」から始まり、「昭和6310月桃中軒会館『エイプルコア』に名称変更」まで詳細を極める。

 商店街の歴史には元々関心があったが、直接のきっかけは20131月の西武沼津店閉店。多くの沼津の人が悲しむ姿を目の当たりにした。「沼津の昭和の商業はここで完全に終わった。歴史をまとめて後世に伝えなければ、と思った」と説明する。

 その西武沼津店。開店は19576月だが、直前の進出反対運動については地元紙「沼津朝日」の当時の記事を引用する形で多くのスペースを割いて記述した。「イトーヨーカドー進出の時も反対運動が起きたが、誰がどう反対したかを、個人名まで含めて書き残さないと、次の世代には分からなくなってしまう」と話す。

 両親が始めた化粧品店を継ぎ、地元の沼津上本通り商店街振興組合理事長も務めた。周囲の商店街は、江戸時代から続く商店街▽東部随一の商店街ーなどの特徴があるが、上本通り商店街は比較的地味。そこで上本通り商店街の特徴として「日本で最初の洋式本格的小学校発祥の地」「映画館でにぎわった商店街」と位置づけ、小学校出身者を顕彰する講演会や展示会、沼津ちなみの映画の上映会も開いた。日本で最初の洋式小学校とは、幕臣が1868(明治元)912日に開校させた沼津市立第一小学校の前身である「代戯館」のことだ。

 沼津の商業は衰退が著しい。現在の商店街については「もう商店街とは言えない。単なる飲食店街」と厳しい見方。また沼津駅南口から映画館が姿を消したことには「映画館がなくなっても、例えばスーパー銭湯のような現代の娯楽健康施設が代わりにできてくれれば良かったのだが」と嘆く。

 さらに沼津市郊外には来年秋に「ららぽーと」がオープン予定で現在工事中。「一商人としては絶対反対。落ち込んだ商店街の息を完全に止める施設となる」とみている。

【石川宏】

【毎日新聞静岡平成30429()「ひとしずおか」】

コンパクトシティー 都市機能中心部に集約

コンパクトシティー

 都市機能中心部に集約

 住宅や病院、商業施設、子育て施設、市庁舎などを市街地中心部に集める取り組みのこと。

 日本各地で戦後、モータリゼーションに伴って郊外の道路沿いへ大型店舗が進出し市街地や駅前商店街の空洞化が著しい。宅地は郊外に広がり、上下水道燐ゴミの収集、雪国では除雪に、膨大な経費がかかつている。

 一方、地方自治体は人口減によって財政難に直面。将来、存続が危ぶまれる「消滅可能性都市」が増える見込み。これを解決するため国土交通省などがコンパクトシティー政策を推進している。

 2014年に都市再生特別措置法を改正。自治体は「立地適正化計画」を策定すれば国から支援を受けられる。現在、全国の自治体の半数が都市機能の集約を検討しているもようだ。

 例えば、郊外に住むお年寄りは通院が大変だ。中心市街地に住めぱ病院通いや買い物がしやすくなる。将来は、一定ルートを走る無人自動運転バスで病院に通えるなど交通網が整備される。

 政府は昨年、コンパクトシティーのモデル都市として10市を選定した。

 青森県弘前市は、雪に強く交通が便利な中心エリ、アへの住み替えを促進。道路に積もった雪を地下水などで溶かすシステム整備に取り組む。新潟県見附市は、撤退した商業施設を改修し、市民の交流施設として健康運動教室や子育て支援センターなどの機能を集約。山口県周南市は交流施設や市役所を整備七、市街地への訪間者を増やし、民間と連携した店舗誘致もしている。

 他のモデル市は山形県鶴岡市、金沢市、岐阜市、大阪府大東市、和歌山市、福岡県飯塚市、熊本市。

(静岡新聞 4月「経済のコトバ13」)

2018年04月21日05時49分48秒0001

大沼明穂市長お別れ

18o410お別れ会k

大沼明穂市長お別れ遺影

市長お別れの会総参列者1200人 記帳は総計で2OOO人に  市は、十日に開かれた故大沼明穂市長の「お別れの会」の総参列者が約千二百人だったと発表した。また、お別れの会で上映されたスライドとナレーションの全文を、市ホームページに掲載した。  午前十時から開かれた式には約六百五十人が参列。式終了後から午後七時まで会場を開放して行われた献花の受け付けには、約五百五十人が訪れた。  また、当日の会場に設けられた記帳台では約七百五十八が弔意の記帳を行い、市役所に設けられた記帳台での記帳者との総計は約二千人となった。記帳書は市から市長の遺族に届けられた。 【沼朝平成30年4月13日(金)号】

沼津まちなか歴史MAP(はなさき地図)平成30年3月31日発行

沼津まちなか歴史MAP(はなさき地図)平成30年3月31日発行
※画像をクリックで拡大します。↓


2018年04月05日10時13分44秒0001kk
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

paipudes

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ