「のろのろ台風9号県内に爪跡」(静新平成19年9月7日夕刊)
県内を暴風域に巻き込んだ台風9号は、六日夜から七日未明にかけて各地に住宅や道路の損壊、浸水などの被害をもたらした。北上に伴い、天気は徐々に回復したが、七日午前は東海道新幹線や在来線、東名高速など主要交通網が混乱。朝の通勤客のほか、物流にも影響した。被害を受けた住民は倒木やごみの片付け、道路の復旧作業などに追われた。
七日朝、県東部地区を中心に大きな被害が次々に明らかになった。三島市など二市二町に接する沼津市の大平地区は、辺り一面が水浸しに。水の引きも悪く、「片づけをしたくてもできない」と、ひざ下まで水につかりながら途方にくれる住民の姿も。同地区は床下浸水四十七棟、床上浸水六棟の被害があり、住民四人が地元の公民館に自主避難した。
狩野川につながる大平江川沿いの特別養護老人ホーム「和みの郷」周辺は、大人の腰ほどの高さまで水があふれた。施設は基礎を高くしているために浸水被害は免れたが、出勤してきた職員は離れた場所に車を置き、ゴムボートで入るなどしたという。七日はデイサービスなどを中止にした。
同地区は平成十六年十月の台風22号でも家屋十八軒が浸水する被害が発「生した。今回、自宅が床下浸水した渡辺博司さん(四六)は「三年前の台風の時よりも被害が大きい。これほど水がつかったのは何十年ぶりではないか」と話した。

台風9号で沼津市内各所に被害「狩野川台風以来の増水」の声も(沼朝平成19年9月8日(土)号)
道路冠水、床上下浸水・我入道漁港では漁船転覆
台風9号の接近・通過で市内は暴風域に入り、六日午後から七日未明にかけて激しい風雨に見舞われ、南消防署で六日午後八時、最大瞬間風速三六・八?を観測。雨量が多かった戸田地区では六日一日で三八五?、大平地区では二九五?を記録し、一時間あたりの雨量では、大平地区で観測された午後五時から六時までの三八・五?が最高だった。このため、狩野川の水位が「氾濫注意水位」を超え、大岡木瀬川地区では避難勧告が発令された。
六日午後六時半ごろには、下香貫地区で一階屋根に上って作業をしていた三十五歳の男性が転落し、後頭部から出血して病院に運ばれたが軽傷。市内では、このほかにけが人の報告はなかった。
また同じ時刻ごろ、御幸町の木造二階建てのアパートでは、風にあおられた屋根の半面がはがれ飛び、住民四世帯四人が、勤労青少年ホーム隣の香陵地区センターに自主避難した。被害に遭ったアパートの大家、山田政代さんは、「何かが爆発したようなすごい音がして、アパートの屋根が隣の駐車場や道路に飛ばされていた。地元自治会の皆さんが協力して屋根を片付けてくれたので助かった。屋根が飛ばされて、部屋の中はあっという間に水浸し
になり一階まで浸水した」と話していた。
このほかに、住宅や倉庫など五棟で半壊や一部損壊があった。
道路冠水は十四カ所で発生し、片浜中北側、大平九区、大平江川橋付近、中原、松長、西島町、志下、青野、下香貫大久保、島郷、県道富士清水線(旧国道一号)の平町付近など。県道沼津土肥線の大瀬-戸田間、県道原木沼津線の大平-函南町日守間、東名高速道路の上り線と下り線など十四カ所が通行止めとなった。
家屋への浸水は、大平地区で九棟、木瀬川で七十二棟、下石田で上棟が床上浸水、大平地区の六十一棟、大岡地区で二棟、西島町で二棟、吉田町で一棟が床下浸水し、大平地区の一世帯四人が同地区センターに避難した。
西浦久料、木負、立保や、中原、志下など二千三十四戸で停電、上香貫九十九洞外原や西浦江梨、新中川土手で崖崩れが発生した。
木瀬川地区では、百七十世帯の五百人に対して六日午後七時十五分に避難勧告が出され、三十五世帯の八十六人が木瀬川公民館や大岡南小体育館、八幡神社に避難した。
天城の山間部では五日午前八時から七日午前八時までの四十八時間に六〇〇?から八〇〇?、御殿場地区では五日午後一時から七日午前十時までの四十五時間に平均七〇〇?の降雨量を記録。この影響で下流の狩野川が増水し、市内に被害をもたらした。
御成橋下流右岸で、店舗裏手を狩野川が流れる青果の福島屋と陶器のいせうでは、大正時代などに建てられた川岸の倉庫が浸水。
福島屋の阪東英雄さん(81)は「狩野川台風の時よりも四、五〇?上まで来た。今までは御成橋の橋脚の上にゴミが引っ掛かることはなかった」と橋脚を指差しながら話した。
いせうの須磨満さんは「この倉庫に水が入ったのは初めて。狩野川台風より五〇?程度高い」。
また、さんさん通りから狩野川に下りる道には増水量の多さを示す枯れ枝などが帯状に。この道路脇の住宅に住む年配女性は、「狩野川台風の時と同じか、少し低いかな」と水位について話した。
一九五八(昭和三十三)年九月二十六日に襲来した台風22号(狩野川台風)では天城湯ケ島で二十五日に五四・六ミリ、二十六日に六八九・七ミリ、二日間の総雨量七四四・三ミリを記録している。

一方、河口の我入道地区では小型漁船四隻が転覆浸水。転覆した「勇基丸」の船主・後藤勇吉さん(82)は「手の付けようがない。おそらくエンジンもダメだろうし、漁具も使えないだろう。廃業するしかない」と話した。
船の様子を見に来た遊漁船「土手下丸」の船長・後藤房雪さん(65)は「狩野川台風の時に比べれば水位は少し低い」と話し、平常時は排水路から川に流れる雨水が堤防の住宅側に溢れ、一時は七〇?程になり消防団が一晩中ポンプアップして川に排出した様子を振り返った。
一方、港大橋付近に係留されているプレジャーボートなどは河川敷に残ったり、船同士が重なり合ったり、船底を見せるものも。また、牛臥から御用邸にかけての海岸には四隻のプレジャーボートなどが打ち上げられた。
狩野川支流の黄瀬川で長泉町本宿に設置されたテレメータ水位によると、六日正午に一・五八?だった水位は七日午前一時に最高位の五・五七?と約四?上昇。
本流の狩野川黒瀬橋下流では、六日正午に一・七四?だった水位は黄瀬川同様、七日午前一時に最高位の六・一一?となり、四・三七?上昇した。
狩野川放水路は六日午後零時四十分に開放し七日午後一時四十分に閉鎖。

県内を暴風域に巻き込んだ台風9号は、六日夜から七日未明にかけて各地に住宅や道路の損壊、浸水などの被害をもたらした。北上に伴い、天気は徐々に回復したが、七日午前は東海道新幹線や在来線、東名高速など主要交通網が混乱。朝の通勤客のほか、物流にも影響した。被害を受けた住民は倒木やごみの片付け、道路の復旧作業などに追われた。
七日朝、県東部地区を中心に大きな被害が次々に明らかになった。三島市など二市二町に接する沼津市の大平地区は、辺り一面が水浸しに。水の引きも悪く、「片づけをしたくてもできない」と、ひざ下まで水につかりながら途方にくれる住民の姿も。同地区は床下浸水四十七棟、床上浸水六棟の被害があり、住民四人が地元の公民館に自主避難した。
狩野川につながる大平江川沿いの特別養護老人ホーム「和みの郷」周辺は、大人の腰ほどの高さまで水があふれた。施設は基礎を高くしているために浸水被害は免れたが、出勤してきた職員は離れた場所に車を置き、ゴムボートで入るなどしたという。七日はデイサービスなどを中止にした。
同地区は平成十六年十月の台風22号でも家屋十八軒が浸水する被害が発「生した。今回、自宅が床下浸水した渡辺博司さん(四六)は「三年前の台風の時よりも被害が大きい。これほど水がつかったのは何十年ぶりではないか」と話した。

台風9号で沼津市内各所に被害「狩野川台風以来の増水」の声も(沼朝平成19年9月8日(土)号)
道路冠水、床上下浸水・我入道漁港では漁船転覆
台風9号の接近・通過で市内は暴風域に入り、六日午後から七日未明にかけて激しい風雨に見舞われ、南消防署で六日午後八時、最大瞬間風速三六・八?を観測。雨量が多かった戸田地区では六日一日で三八五?、大平地区では二九五?を記録し、一時間あたりの雨量では、大平地区で観測された午後五時から六時までの三八・五?が最高だった。このため、狩野川の水位が「氾濫注意水位」を超え、大岡木瀬川地区では避難勧告が発令された。
六日午後六時半ごろには、下香貫地区で一階屋根に上って作業をしていた三十五歳の男性が転落し、後頭部から出血して病院に運ばれたが軽傷。市内では、このほかにけが人の報告はなかった。
また同じ時刻ごろ、御幸町の木造二階建てのアパートでは、風にあおられた屋根の半面がはがれ飛び、住民四世帯四人が、勤労青少年ホーム隣の香陵地区センターに自主避難した。被害に遭ったアパートの大家、山田政代さんは、「何かが爆発したようなすごい音がして、アパートの屋根が隣の駐車場や道路に飛ばされていた。地元自治会の皆さんが協力して屋根を片付けてくれたので助かった。屋根が飛ばされて、部屋の中はあっという間に水浸し
になり一階まで浸水した」と話していた。
このほかに、住宅や倉庫など五棟で半壊や一部損壊があった。
道路冠水は十四カ所で発生し、片浜中北側、大平九区、大平江川橋付近、中原、松長、西島町、志下、青野、下香貫大久保、島郷、県道富士清水線(旧国道一号)の平町付近など。県道沼津土肥線の大瀬-戸田間、県道原木沼津線の大平-函南町日守間、東名高速道路の上り線と下り線など十四カ所が通行止めとなった。
家屋への浸水は、大平地区で九棟、木瀬川で七十二棟、下石田で上棟が床上浸水、大平地区の六十一棟、大岡地区で二棟、西島町で二棟、吉田町で一棟が床下浸水し、大平地区の一世帯四人が同地区センターに避難した。
西浦久料、木負、立保や、中原、志下など二千三十四戸で停電、上香貫九十九洞外原や西浦江梨、新中川土手で崖崩れが発生した。
木瀬川地区では、百七十世帯の五百人に対して六日午後七時十五分に避難勧告が出され、三十五世帯の八十六人が木瀬川公民館や大岡南小体育館、八幡神社に避難した。
天城の山間部では五日午前八時から七日午前八時までの四十八時間に六〇〇?から八〇〇?、御殿場地区では五日午後一時から七日午前十時までの四十五時間に平均七〇〇?の降雨量を記録。この影響で下流の狩野川が増水し、市内に被害をもたらした。
御成橋下流右岸で、店舗裏手を狩野川が流れる青果の福島屋と陶器のいせうでは、大正時代などに建てられた川岸の倉庫が浸水。
福島屋の阪東英雄さん(81)は「狩野川台風の時よりも四、五〇?上まで来た。今までは御成橋の橋脚の上にゴミが引っ掛かることはなかった」と橋脚を指差しながら話した。
いせうの須磨満さんは「この倉庫に水が入ったのは初めて。狩野川台風より五〇?程度高い」。
また、さんさん通りから狩野川に下りる道には増水量の多さを示す枯れ枝などが帯状に。この道路脇の住宅に住む年配女性は、「狩野川台風の時と同じか、少し低いかな」と水位について話した。
一九五八(昭和三十三)年九月二十六日に襲来した台風22号(狩野川台風)では天城湯ケ島で二十五日に五四・六ミリ、二十六日に六八九・七ミリ、二日間の総雨量七四四・三ミリを記録している。

船の様子を見に来た遊漁船「土手下丸」の船長・後藤房雪さん(65)は「狩野川台風の時に比べれば水位は少し低い」と話し、平常時は排水路から川に流れる雨水が堤防の住宅側に溢れ、一時は七〇?程になり消防団が一晩中ポンプアップして川に排出した様子を振り返った。
一方、港大橋付近に係留されているプレジャーボートなどは河川敷に残ったり、船同士が重なり合ったり、船底を見せるものも。また、牛臥から御用邸にかけての海岸には四隻のプレジャーボートなどが打ち上げられた。
狩野川支流の黄瀬川で長泉町本宿に設置されたテレメータ水位によると、六日正午に一・五八?だった水位は七日午前一時に最高位の五・五七?と約四?上昇。
本流の狩野川黒瀬橋下流では、六日正午に一・七四?だった水位は黄瀬川同様、七日午前一時に最高位の六・一一?となり、四・三七?上昇した。
狩野川放水路は六日午後零時四十分に開放し七日午後一時四十分に閉鎖。
