池内紀氏が新たな姿を解説
沼津牧水会(林茂樹理事長)は五月二十五日、若山牧水記念館で文化講座を開き、講師としてドイツ文学者の池内紀氏を招いた。約五十人が聴講し、栗原裕康市長の姿もあった。
「用意周到で慎重な旅人 近代的な感覚も持ち合わす」
池内氏は、沼津に移り住んだ歌人の若山牧水が群馬県を旅して記した『みなかみ紀行』の新編書を手掛けている。
「牧水の旅の仕方」と題して講演した池内氏は、はじめに「なぜドイツ文学者である自分が牧水について語るか」を説明した。
高校生の頃に短歌に興味を持っていた池内氏は、女性を装って女心を扱った歌を作るなどして雑誌に投稿し、賞金を得ていたが、次第に、こうした「器用さだけで作れる歌」に飽きるようになり、短歌全体から遠ざかっていったという。
その後、四十歳を過ぎてから再び短歌に触れるようになったが、その時に出合ったのが牧水の短歌だった。
当初、池内氏は、同世代だった石川啄木と牧水を比較し、「若い」啄木に対して牧水は「老いて」「古風」というイメージを持っていたという。
しかし、こうしたイメージは虚像ではないかと思うようになり、それから牧水の文章の数々を読み始めた。そして、牧水の新たな姿に気づくようになったという。
こうした新たな姿について池内氏が第一に指摘するのは、「酒と旅」というイメージから連想される、気ままな旅人ではなく、とても慎重な旅人だったという点。
池内氏は『みなかみ紀行』の記述の中から、常に地図やコンパス、鉄道時刻表を携帯し、わらじを大切に履き、体調管理のために毎朝の梅干しを食べ、茶店では緊急時の保存食として干し柿を買い求める、用意周到な牧水の姿を紹介した。
そして、「こうした入念な準備をしていたからこそ、気ままに動くことができたのだろう」と指摘した。
また、牧水が列車の待ち時間に駅周辺の風景を見ながら詠んだ短歌を取り上げ、叙情的な作品の多い牧水が、こうした場では叙景的な歌を次々に詠んでいる点に言及。「現代で言うと、デジタルカメラで手軽に景色を撮影する感覚で、景色の記録のために歌を詠んでいた」と解説した。
このほか池内氏は、牧水の記述の中から、当時は偽牧水が出没して宿泊や飲食の提供を求めたり、揮毫(きごう)して謝礼を受けたりする例があったことを挙げ、「当時の歌集には、必ず著者近影が載っていた。若い頃の姿ではなく、最近の姿。これは偽者対策のためでもあった」とした。
最後に池内氏は、「牧水の歌に出てくる『かなしさ』や『さみしさ』は、自分でも手がつけられない感情、気の落ち込みを表している。これは同時代の(フランスの詩人)ボードレールが抱いた『メランコリー』『憂愁』と同じであって、牧水が古風な歌人ではなく近代的感覚を持っていたことを意味している」との見方を示した。
《沼朝平成25年6月2日(日)号》