2018年09月15日05時07分36秒0001

一小が創立150周年

近代的小学校都市として国内最古

 一小(杉本雅弘校長)で十二日、創立百五十周年記念式典が行われた。同校は明治元年、駿河に移封された旧幕臣の子弟の教育のため創立された「代戯館」を発祥とし、近代的な教育を始めた日本で最も古い小学校とされる。式典には来賓と共に在校生を代表して五、六年生が出席した。

 

式典を前に児童が和太鼓演奏

途絶えた沼津太鼓復活に練習を重ね

歴史「代戯館」は問もなく、「沼津兵学校附属小学校」に引き継がれ、藩士の子弟だけでなく、農家や商家の子も入学を許され、読み書きや手習いはもちろん、黒板を用いた一斉授業で算術や地理等も教えるなど、近代的な質の高い教育が行われ、小学校の先駆的存在として評価されている。

その後「沼津小学校」「集成舎」「小学沼津学校(沼津毯」などと名称を変え、明治三十年、八幡町の現在の場所に移り、今日まで百五十年間の歴史を紡いできた。

沼津太鼓 式典に先立ち、同校の和太鼓クラブによる演奏が行われた。

同クラブは平成二十八年四月に発足。百五十周年での演奏を見据えて練習に励んできた。指導したのは、沼津太鼓育成保存会の元メンバーで、現在は「音三昧」主宰の加藤武夫さん。

今回の演奏では、加藤さんが作曲した創立百五十周年記念曲「維新伝心」と、作曲家黛敏郎氏作曲の沼津太鼓「富士」が演奏された=写真。

沼津太鼓は、昭和四十五年に発足した沼津太鼓育成保存会をルーツとする。四十七年頃、黛氏にオリジナル曲の作曲を依頼。完成したのが「富士」「漣波(さざなみ)」「松」「祭」の四曲から成る組曲。沼津御用邸記念公園の旧御文庫を練習場として約二十年間、一小や二小の児童らも参加し、沼津夏まつりをはじめ各地域で演奏を続けたが、その後、徐々に参加者が減り、十五年程前、活動に幕を下ろした。

同校では、創立百五十周年の記念事業として、これを復活しようと二年前に取り組みを開始。初めて太鼓を叩く児童達に加藤さんは基本から教え、限られた時間の中で練習を重ね、組曲のうち「富士」の復活となった。児童達の堂々とした姿と力強い演奏に、会場からは大きな拍手が送られた。

式典 杉本校長は式辞で、同校の沿革を紹介しながら、歴史に育まれた気概が現在まで受け継がれるとともに、地域に支えられ、同校の運動会と地域の校区祭が一体となった「はばたき祭」は今年度で十七回目の開催であることを説朋。

また、校歌の一節「効(かい)ある人とならんこそ」に触れ、これは同校の教百目標としても掲げられ、児童達の胸に留まる言葉

となっていることなどを話した。

来賓の渡辺周衆議院議員は、祝辞と共に、自身と二人の子どもが同校の卒業生であることを話し、児童達に「日本で最初の学校で学んだ、というプライドを持ってほしい」と語りかけた。

また、勝又孝畦衆議院議員は、日本の経済が発展したのは日本人の勤勉性と教育水準の高さにあるとし、「(六年生の)皆さんは平成最後の卒業生(となる)。新しい時代を切り開いてください」と述べた。

頼重秀一市長は、お祝いの言葉に続き、同校が古くから人材育成に貢献してきたことに感謝。「中核の学校として、沼津を元気に導いていただきたい」と語り、渡部一二実市議会議長も、お祝いを述べると、同校の歴史に触れながら「効ある人づくりを進めてほしい」とした。

このほか、市議、教育委員会関係者、近隣の学校関係者や地域で尽力した人など多くの来賓が招かれ、紹介された。

続いて贈呈品の披露。創立百五十周年に寄せて、同校の発祥に縁のある徳川家宗家十八代当主・徳川恒孝(つねなり)氏直筆の書が贈呈されたことが紹介され、また直筆の祝辞が代読された。

この後、同校卒業の中学生代表、児童代表の言葉に続き、最後に児童と教職員が校歌と応援歌を歌った。

「第一小学校応援歌」は昭和三年に作られたもので、作曲者は不明。当時の教職員ではないかといい、近年は歌われていなかったが、式典に先立ち復活させた。

在校児童代表として出席した五、六年生は、一時間半の式典の間、姿勢を崩すことなく真剣な態度で臨んでいた。

杉本校長は記念誌の中で、「受け継がれてきた伝統の証として、第一小学校の子ども達の姿を皆様にお見せしたい」としていたが、この日の児童達は、これに応えた。

 

記念事業で「はばたきの像」を修復

50年たち傷み目立つようになり

この百五十周年記念事業の一環として、中庭に建つ「はばたきの像」の修復を沼津市出身の彫刻家、石渡三夫さん(裾野市)に依頼。修復が完了した像の除幕式が十二日、式典前に開かれた。

「はばたきの像」は、同校出身の彫刻家、和田金剛氏が五十年前、開校百周年を記念して制作したもので、台座を含めて約四㍍になるコンクリート製の像。少年少女の夢が大空に舞い上がるイメージで、子どもを乗せた大きなワシが羽ばたく姿を表現している。

像は長年、風雨にさらされて黒色に変色。風化してワシのくちばしや羽の先端が欠けるなど損傷が進んでいたことから、百五十周年を記念し、PTAの協力により修復することになり、和田氏の弟子だった石渡さんに依頼した。

石渡さんは西浦中出身で、高校卒業後、二十歳の時に和田氏に弟子入し、以来、彫刻家の道を歩んでおり、作品の中には、さんさん通り沿いの歩道に置かれた大小のオブジェなどがある。

石渡さんは「弟子入りした当時、この像を写真で見たことがあったが、黒く汚れて風化してしまった。和田先生のイメージを、より補強するような修復を行い、色は青銅色にした。先生の像を修復できてうれしい。亡くなった先生も喜んでいると思う」と話す。

除幕式では、杉本校長が「はばたきの像」の由来や修復に至った経緯を話し、「五十年間、一小の子ども達の夢を乗せて羽ばたいてきた。石渡先生が、ただ直すだけでなく、バージョンアップさせてくれた。新・はばたきの像は、皆が大人になっても元気に羽ばたいていると思います」と話し、児童やPTA役員がロープを引いて除幕。

石渡さんは『お父さん、お母さんの思いを込め、皆が羽ばたいていけるよう、像をきれいにしました」とあいさつし、計画委員の児童代表が「これからも『効ある人』を目指し、気づき、考え、行動できる人になるよう頑張ります」と感謝の言葉を述べ、引き続き記念撮影などが行われた。

【沼朝平成30915()号】